舞台は現代の日本。季節は夏。
探索者は友人を見舞いに病院を訪れるところから物語は始まる。
友人の奇妙な言葉の意味を解明するため、探索者は田舎の小さな漁町を訪れることになる。
プレイヤー数:3〜4人
プレイ時間:5時間程度
このシナリオは"新クトゥルフ神話TRPG ルールブック"(以下、ルールブック)に対応している。"新クトゥルフ神話TRPG ルールブック クトゥルフ2020"も使用可能だ。
探索者3〜4人向けにデザインされている。
プレイ時間は探索者の作成時間を含まずに5時間程度だろう。
比較的、長いシナリオである。序盤から中盤にかけて超常現象はあまり発生せず、過去の出来事を調査し、現在の謎との関連を推測、解明することに主軸が置かれる。ホラーを前面に出したトーンではない。
探索者が活動する範囲は広く、その行動によって展開が大きく変化するため、"新クトゥルフ神話TRPG"に慣れたキーパー向けのシナリオだ。
◎3. 主なNPC
●坪内武彦(つぼうちたけひこ)
坪内武彦は病院の個室に入院している。髪はボサボサで目の下にくまがついているが、大きな外傷はない。ただ、左腕に包帯が巻いてある。
坪内武彦は探索者の顔を見るなり、目を大きく見開き、助けを求めるように「やめさせないと!」と大声で叫ぶ。
しかし、坪内武彦には具体的になにをやめさせないといけないのかはわからない。そもそも先週、自分がなにをしていたのかさえ思い出せないのだ。ただ、「なにか恐ろしいことが起きる」という予感だけが、彼を苦しめている。
探索者が親身になって話を聞いてやるなら、坪内武彦は何度もおびえた様子を見せるが、懸命に記憶の断片を絞り出しては、探索者に覚えていることを伝える(「坪内武彦のおぼろげな記憶」を参照)。
探索者が彼の失われた記憶について深く掘り下げようとしたり、ひっかき傷について尋ねたり、腕の包帯を外して傷をあらわにしたりすると、坪内武彦は恐怖がフラッシュバックして錯乱状態に陥る。大事になる前に医師が駆けつけるが、探索者はそんな坪内武彦の姿を目撃したことで0/1正気度ポイントを失う。
坪内武彦には療養が必要であり、外出などできる状態ではない。そこで坪内武彦は自分の身になにが起きたのか調べてもらいたいと探索者たちに依頼する。自分がなにをして、なにを見たのかわかれば、この恐怖の原因もわかるというのだ。立ち会っている医師も、「恐怖の原因がわかれば治療に役立つだろう」と保証する。
探索者が坪内武彦の依頼を引き受けなければ物語は進まない。探索者が依頼を受けることに渋っているようなら、どうしたら依頼を受けるようになるのかプレイヤーと話し合ってすりあわせよう。探索者が望むもの(報酬など)があれば、坪内武彦はできる限り要望に応える。
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○坪内武彦のおぼろげな記憶
誰かの車に乗って出かけた気がするのだけど、用事がなんだったのかは覚えていない。
海の近くの集落に行った。小さな港と鉄塔を見たのは覚えている。けど、どこかはわからない。遠くのような気がする。
そこで誰かと会ったはずなんだ。大勢じゃない。一人か、二人か……ただ、それが誰だったかは覚えていない。
とても恐ろしいものを見た気がする!
やめさせないと!
なにか……なにかをやめさせないと!
あそこで恐ろしいことが起きる! 大勢が死んでしまう!!
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坪内武彦は探索者に自宅の鍵を手渡し、パソコンのパスワードも教えてくれる。自宅もパソコンも自由に調べてかまわないというのだ。
坪内武彦の携帯電話は紛失している(網元に廃棄された)。探索者はなんらかの方法で紛失した携帯電話のデータやGPS履歴にアクセスしようとするかもしれない。しかし、今回のシナリオでは紛失した携帯電話のデータや履歴の情報は得られないものとする。坪内武彦はそのようなサービスに契約していなかったのだ。
以後、坪内武彦の精神状態は不安定となり、面会は難しくなる。探索者が何度も病院を訪れるようではテンポが悪くなるため、どうしても必要というとき以外は面会謝絶にしたほうがよい。
坪内武彦はごく普通の1DKマンションに独り暮らしだ。住所は探索者の暮らす町から、さほど遠くない。
坪内武彦の自宅を調べることで、さらに調査すべき事柄や場所が広がる。
○岩浜村と浅明寺
箱書きにあった「和歌山 岩浜村」という地名はもうなくなっている。図書館などで調べるか、和歌山県庁に問い合わせるなどすればロール不要で、岩浜村のあった場所と現在の様子がわかる。
和歌山県の南西部にあった岩浜村は、明治の末期に他の村に編入されて、今は「岩浜集落」と呼ばれている。小さな湾内にある港を中心として、現在も十数世帯が暮らしている。住所もわかるため、これでいつでも現地に行くことはできる。
ただし、「浅明寺」については図書館でいくら調べても情報は得られない。少なくとも今はもう存在しない寺であることは確かだ。ただし、ここで〈図書館〉に成功しているのなら、探索者の地元の図書館ではわからずとも、和歌山県の図書館などで郷土資料を当たればなにかわかるかもしれないと推測できる。
○書の友社
書の友社に連絡を取れば、記者の墨川晃宏と話ができる。電話でも話せるが、電話越しの場合、対人関係技能や〈心理学〉の難易度がハードとなると事前にキーパーは伝えておこう。
書の友社は雑居ビルの一室にある、社員3人のとても小さな出版社だ。墨川晃宏は60代の男性。小柄で痩せ型、かなり気の弱そうな顔つきをしている。
探索者が坪内武彦の名を出せば、墨川晃宏はあきらかに動揺した様子を見せる。このとき〈心理学〉に成功すれば、その態度から、坪内武彦になにか後ろめたいことがあるとわかる。
墨川晃宏の隠し事とは、先週、成松慧香に強く迫られて、坪内武彦の住所と連絡先を漏らしてしまったことだ。探索者が適切な対人関係技能ロールに成功すれば、このことを白状する。墨川晃宏は気が弱いため、探索者が〈威圧〉する場合、ボーナス・ダイスが1つが与えられる。ただし、この場面で〈威圧〉のプッシュ・ロールに失敗すれば、墨川晃宏は探索者が恐喝しに来たのだと誤解して警察に通報する。
墨川晃宏からは、成松慧香の情報が得られる(「墨川晃宏の証言」参照)。また、成松慧香から受け取った名刺も持ってくる。成松慧香の名刺の肩書きは「古物商」とあり、あとは名前と携帯電話の番号しか書かれていない、とてもシンプルな名刺だ。
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○墨川晃宏の証言
成松慧香は20〜30代の女で、きつい関西なまりがあった。古物商を名乗っていたが、かなりうさんくさく、まともな商売をしているようには思えなかった。
「書の友」に掲載された「九頭龍の硯」をずっと捜していたのだそうで、坪内武彦の連絡先を教えろとしつこく迫ってきた。詳しい話を聞いたところ、あの硯は彼女に依頼した別の人物が紛失した品だそうで、どうしても買い戻したいと熱望しているのだと言っていた。依頼人については、なにも教えてくれなかった。
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○成松慧香との電話
墨川晃宏に見せてもらった名刺の電話番号にかければ、成松慧香と連絡を取ることができる。ほんの少し会話しただけで、一筋縄ではいかない口が達者なくせの強い人物だとわかる。
坪内武彦について尋ねても、「連絡先は聞いたが、それだけだ。会ってはいない」としらを切る。探索者がなにを聞いてもとぼけるばかりであり、まともに相手をしない。〈言いくるめ〉か〈心理学〉に成功すれば、成松慧香のとぼけかたは堂に入ったものであり、彼女がただの古物商ではなく、口先で人をだますことを生業とする詐欺師のようだと推測できる。
電話で話すだけでは、成松慧香は探索者をまともに相手をしない。はなからまともに話を聞くつもりがないため、なにを話しても無駄に終わる。しかし、探索者が適切な対人関係技能のロールに成功すれば、成松慧香はごまかすことに集中するあまり、途中で「依頼人」のことをうっかり「網元」と言い間違えてしまう。成松慧香は自分の失言に気づくと、慌てた様子で電話を切ってしまう。
探索者が岩浜集落を訪れた時点で、キーパーは「岩浜集落 概略図」のコピーを渡すこと。探索者は自由に集落内を調査できる。
和歌山県の南西部に岩浜集落はある。県道から伸びる脇道の行き止まりにある集落のため、用事のある者しか立ち寄ることはない。当然、観光客なども来ることはない。
岩の多い山に囲まれた湾内の限られた土地に、密集して家が建っており、集落内の道路はほとんどが坂道だ。小さな港があり、住人全員が漁業関係者である。ほかに目立つものと言えば、集落を見下ろす高い位置にある大きな屋敷と、港にあるスピーカーのついた放送塔(鉄塔)だろう。
集落の住人のほとんどが生まれてからずっとこの土地で暮らしてきたため、よその人間には慣れていないが、かといって閉鎖的というわけでもない。
また、このような小さな集落にしては高齢化が進んでおらず、比較的若者も多い。集落は網元からの金銭的援助によって支えられている(住宅、漁船、車のローンの肩代わりなど)。それは100年以上前から続いており、住人のすべてが網元からなんらかの援助を受けている。
そのため、住人の中に箱守のことを悪く言うものはいない。
○港
魚の水揚げは近くにある別の漁港にされるため、港といっても小さな漁船があるだけだ。ここの港はコンクリートの斜面で海につながっており、船が引き揚げられるようになっている。
港では、集落の漁師たちが網の修復などの仕事をしている。奇妙なことに漁師たちのおでこやほおには墨がついているのだが、気にしてもいない様子だ。この墨の理由については後述の「◎8.筆を持った少年」を参照すること。
○放送塔
鉄骨がむき出しの放送塔で、集落内に時報や放送を流すときに使用される。集落内で一番高い建造物であり、はしごで登ることもできる。あえて登るような愚かな住人はいないため、特にセキュリティはない。登りたければ、いつでも登れる。
探索者が放送塔に登れば、水平線のかなたに蜃気楼のようなものが見える。それはこんもりとした島影のようにも見えるが、INTロールに成功すると、それが想像を絶するほど巨大な生き物の一部であるという、恐ろしい考えが頭に浮かんでしまう。これは深暗の呼びかけに応えて顕現しつつあるクトゥルフの落とし子の予兆である。この影を目撃した探索者は1/1D6正気度ポイントを失う。なお、船で蜃気楼の見えた場所に行っても、なにも見つからない。
塔の脇には掲示板があり、催事などのお知らせが貼ってある。中央の目立つところに、毛筆で堂々と書かれた貼り紙がある。「ふだらく祭り みんなでお迎えしましょう」という内容だ。あまり上手とは思えないが、どこか味のある字である。これは福波正太が書いたものだ。
今後、探索者は岩浜集落のあちこちで「ふだらく」という言葉を耳にする。「ふだらく」については〈歴史〉に成功するか、またはインターネットなどで調べれば、下記の「補陀落とは」の情報が得られる。ただし、ふだらく祭りについての情報は皆無である。
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○補陀落とは
一般的に知られている「ふだらく」とは補陀落と書き、仏教において観世音菩薩が住まうという霊場のことだ。
日本の中世には、行者が補陀落を目指して渡海船(とかいせん)に乗り込み海に出る、捨身(しゃしん)の行というものがあった。
渡海船には箱が積まれ、そこに行者は閉じこもる。自分から外に出ることはできず、船は陸に戻ることもなく、そのまま海の彼方へと漂流していくのである。当然、行者は命を失うが、それには身をもって民衆に浄土信仰を広める意味があった。
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○集会所
この集落の公民館のような役割を持っており、いつも婦人たちが茶飲み話に花を咲かせている。誰でも気軽に立ち寄れるオープンな雰囲気だ。
集会所の隅には、魚を陰干しにしてひものにする場所がある。その干物の一枚には、たまたまウジが数匹わいている。それに気づいたかなり高齢の老婆が、「おや、おこぼれじゃあ」と言って、ウジをつまみとるとパクッと口に入れてしまう。その行為を目撃した探索者は0/1正気度ポイントを失う。
老婆に理由を尋ねれば、この集落ではウジは長寿の薬なのだと説明するが、この老婆以外の住人はウジを食べたりはしない。この老婆は無意識的に深暗にあやかろうとしているだけであり、ウジを食べるようになったきっかけなどを尋ねても、老婆自身もわかっていない。老婆と10分以上の時間をかけて会話したのち〈精神分析〉に成功すれば、老婆の潜在意識にウジ(のような虫)への崇拝が暗示のようにすり込まれていることがわかる。
集会所には、放送塔から音声を流すための小さな放送室もある。放送室のドアは施錠されておらず、誰でも入ることができる。昭和時代の放送機器には操作方法のメモがあちこちに貼ってあるため、INTロールか〈電気修理〉に成功すれば操作できる。マイクで肉声を放送することも、カセットレコーダーからテープの録音を放送することもできる。
○倉庫
鉄筋コンクリート製の二階建ての倉庫だ。一階には漁具や工具、資材が納められている。二階は災害時の備蓄倉庫になっており、避難所も兼ねている。さらに津波のとき、高台への避難が間に合わないという最悪の事態では、屋上に避難できるようになっている。このことはのちに住人を避難させるときに必要となる大事な情報のため、必ず説明すること。
キーパーの判断で、探索者が必要としている道具や即席武器がここで見つかることにしてもよい。倉庫にあるかどうか迷った場合は、探索者が〈幸運〉に成功すれば望みの品がたまたまあったとすればよいだろう。
○大きな屋敷
岩浜集落の有力者である網元の箱守豊太郎の屋敷だ。集落内で一番高い位置にあるため、どこからでも屋敷は見える。
他の集落の家とは比べものにならないほど立派な屋敷だ。純日本風の造りで、特に藍色の重厚な瓦が海の日差しをまぶしく反射しているのが印象的である。築70年以上だがこれまで何度も改築がされており、古びた感じはしない。〈鑑定〉か〈歴史〉に成功すれば、見えないところ、細かいところに手間と金をかけた、見た目以上に豪華な屋敷だとわかる。また、あちこちに寺社に使われる飾りや技術が取り入れられているのも特徴的だ。屋敷の中で起きることは後述の「◎9.網元との宴会」を参照すること。
○九頭龍神社
防波堤の根元にある、小さな岩山の上に建つ神社だ。海沿いでは高い位置にあり、港を別の角度から見下ろせる。神社が高い位置にあることはのちに住人を避難させるときの大事な情報のため、必ず説明すること。
神社といっても、鳥居と人の背丈くらいしかない古びた祠があるだけだ。珍しいご神体が祭られているわけでもなく、ごく平凡な神鏡が安置されている。あまり手入れはされておらず、やや荒れた印象を受ける。
明治初期に浅明寺が廃されると、住人たちは信仰のよりどころとしてこの場所に九頭龍神社が建立した。もっとも、それからすぐに深暗による精神的な支配が及んだため、神社は大事にされなくなった。
九頭龍の硯の時に、九頭龍信仰について調べた探索者は、川の治水に縁の深い九頭龍の信仰が海辺にあるのは珍しいことだとわかる。
住人に神社のいわれを尋ねれば、ずっと昔、この土地には九頭龍大権現を祭った井戸が別の場所にあって、それが由来で「九頭龍神社」と名付けられたのだと教えてくれる。ただし、その井戸がどうして九頭龍と関係があったのか、そして井戸はどこにあったのかは誰も知らない(現在、網元の敷地内の蔵の中にある)。
○浅明寺の跡地
浅明寺については、住人の多くが知っている。しかし、住人にとってそのことを語るのはタブーである。
探索者が納得の理由を述べたうえ、難易度ハードの適切な対人関係技能のロールに成功しなければ、住人は浅明寺については語ろうとしない。
それだけ苦労しても、得られる情報は、浅明寺はずっと前に廃されてもう無いこと、浅明寺は網元の屋敷の脇に伸びる道の先にあったことだけである。
網元の家の脇に伸びる道の痕跡をたどれば、やがて寺の跡地にたどり着ける。
道の痕跡の突き当たりに、古びた小さな立て看板があり「浅明寺跡地」と記されている。ほかにはなにもない。
住人は近づこうともしないため、雑草と低木が生い茂り、荒れ放題である。〈自然〉か〈追跡〉に成功すれば、100年近く前にはきちんとと整地されていたことがわかる。さらに整地の具合からして、過去の浅明寺と、現在の網元の屋敷は、元々はひとつながりだったと推測できる。
浅明寺は焼かれたため、痕跡はなにも残っていない。調べるには大がかりな発掘作業が必要だ。
探索者が「虫になった坊様」の怪談(後述)を知っており、岩屋を探すというのなら、ロール不要で敷地内にある岩壁を発見できる。そこには高さ1.5メートル、奥行き3メートルほどの小さな横穴が空いている。穴の前にはたくさんの岩が崩れ落ちている。岩を調べれば、灰色に変色した漆喰のあとがついているのがわかる。この穴が、悪行を尽くした寺の住職(いまの深暗)が閉じ込めらていれた岩屋である。
穴の内側を調べてみると、やけになめらかである。もっとよく調べると、細かく削られたあとがある。この痕跡を見て〈自然〉か〈生物学〉に成功すれば、これが小さな虫が噛んで削ったあとではないかと推測できる。
網元の家を訪ねれば、玄関は開きっぱなしだ。これは「誰でも自由にお入りください」という意味だ。
奥はとても賑やかだ。宴会でも開いているようで、笑い声の合間に「ふだらくじゃ、ふだらくじゃ!」という歓声が混じる。
大声で呼びかければ、宴席に参加していた40代の男が応対する。この男は集落の住人であり、誰が来たのか様子を見に来ただけである。探索者がどのように交渉するかにもよるが、網元に話があると伝えれば、めでたい時に来た客人として宴席に歓迎してくれる。宴席は情報収集をするにはもってこいの場所である。
屋敷の畳敷きの大広間には、立派な床の間があり、大きな窓からは港と海が一望できる。
そこには集落の住人たちが9人ほど集まっており、盛大な宴会の真っ最中だ。座卓には大量の料理が並べられ、高級酒の瓶があちこちに転がっている。
部屋の隅には年代物のカセットレコーダーが置いてあり、横にはカセットテープ(音声を録音する磁気テープメディア)が数本置いてある。カセットテープを手に取るか、〈目星〉に成功すれば、そのラベルには「ふだらく祭り 放送用」と手書きの文字がある。
この宴会は昼夜を問わず、住人も入れ替わり立ち替わりやってきて、ふだらく祭りが始まるまで続けられる。そんな宴席の上座にどっしりと座っているのが、網元の箱守豊太郎である。酔っ払って顔は真っ赤で、とても上機嫌だ。首には金の鎖のネックレスをつけて、服の中に垂らしている。〈鑑定〉か〈目星〉成功すれば、それがただの鎖のアクセサリーではなく、ペンダントのように少し重量のあるものを服の中にぶら下げているのだとわかる。ぶらさげているのは古びた鍵だ。これは深暗が潜んでいる船箪笥の鍵である。重要な伏線のため、キーパーは忘れずに描写すること。
宴席にいる住人たちは、上機嫌で探索者に酒を勧める。探索者は勧められるがままに酒を飲むかどうかを選べる。キーパーは、勧められるがままに酒を飲めば、相手から好印象を得られると説明すること。
勧められるがまま飲んだ場合、CONロールに成功すれば、その飲みっぷりが気に入られて、以後、宴席での対人関係技能のロールすべてにボーナス・ダイスが1つ与えられる。失敗してもデメリットはないが、このときプッシュ・ロールに失敗すれば泥酔して、数時間寝入ってしまい、時間を浪費する。
探索者が宴席に参加して、楽しそうにしている限り、網元たちは上機嫌で会話に付き合ってくれる。
以下は、探索者が質問しそうなことへの返答例だ。探索者が網元の屋敷以外にいる住人に質問した場合の返答も、以下を参考にするとよい。
○硯のこと
住人は硯のことは何も知らない。
網元は「元々、硯は集落にあった寺のものだったが、昔、村が金に困っていたとき売ってしまった。我が家ではずっとそのことを後悔していて、買い戻したいと思っていた。先日、出入りの骨董商から買い戻したばかりだ。これで過去に売ってしまった数々の寺宝はすべて買い戻せた。ご先祖様も喜んでいるに違いない」と、満足げに語る。寺宝について詳しく尋ねても、それらは古い壺や茶道具といったもので、特別怪しいものではない。
○成松慧香のこと
住人は成松慧香の名前は知らない。外見を説明すれば、たまにそんな女性が網元の家を訪ねていると教えてくれる。ただ、何者なのか、なにをしているのかは知らない。
網元は成松慧香について尋ねられると、どうして彼女のことを知っているのか不審そうに尋ねる。探索者が納得できる理由を説明して、適切な対人関係技能のロールに成功すれば「昔からウチに出入りしている古物商だ。いろいろ世話にはなっているが、客と商売人、それだけの関係だ」と語る。
○坪内武彦のこと
住人は坪内武彦は見たこともない。
網元も最初は「知らない」と答えるが、すでに成松慧香の話題が出ているのなら「成松から硯の持ち主だと聞いているが、それ以上のことはなにも知らない」と答える。売買の交渉については、すべて成松慧香に任せていたそうだ。難易度ハードの〈心理学〉に成功すれば、網元が嘘をついていると推測できる。
○ふだらくのこと
住人は「ふだらく」とは、これから始まる集落の祭りのことだと説明する。ただ、とても珍しい祭りで、前回執り行われたのは百年以上も前のことだという(これは網元が伝えた嘘だ。本当は一度も執り行われたことはない)。具体的にどんな祭りなのか住人たちさえわかっていない。
網元は祭りのことはすべてわかっているような素振りで「昔から決まっていることだ」と語る。しかし、具体的な内容については、なにも教えてはくれない。ここで適切な対人関係技能のロールに成功すれば、網元は探索者の質問に対して「ちゃんと取り仕切ってくれるから問題ない」と、まるで祭りの責任者が他にいるかのような素振りをしていまう。それは深暗のことを指しているが、そのことを尋ねられても、網元は「それは勘違いだ」とごまかす。
○シンアンのこと
深暗の暗示を受けた住人の前で「シンアン」という言葉は禁物だ。その言葉を聞いた途端、暗示を受けた住人は恐怖心がよみがえり、気分が落ち着かなくなる。取り乱すほどではないが、探索者が「シンアン」と口にした途端、楽しかった宴席の空気は凍り付いたかのように静まりかえる。網元以外の住人全員がそろって生気のない目をして、無言のままじっと探索者を見つめているのだ。それはあまりに不気味な数秒間であり、その場に居合わせた探索者は0/1D3正気度ポイントを失う。この正気度ロールに成功した探索者は、網元だけは顔を引きつらせ、警戒するような目でこちらをにらんでいることに気づける。
やがて、住人たちは我に返ったように首を振って「シンアン」という言葉にはまったく心当たりがないと語る。〈心理学〉に成功しても、その言葉には嘘がないとわかるだけだ。なにしろ、「シンアン」という言葉への恐怖は住人の深層心理に刻まれているもので、本人の記憶にはないのである。
網元だけは「シンアン」が、集落を影で支配する者の名前だと知っている。しかし、網元の顔色を読み解くには難易度ハードの〈心理学〉に成功する必要がある。成功すれば、網元は「シンアン」について知っているが、その名前はタブーであり、強い恐れを抱いていることがわかる。また、探索者が無理に話題を続ければ、網元に屋敷を追い出されるだろうと推測できる。
○カセットテープのこと
網元は祭りで使う放送を録音したものだと説明する。ただし、録音の内容については、祭りの当日までは秘密であり、教えてくれない。
探索者は隙を見計らって〈手さばき〉でカセットテープを盗むことが可能だ。このロールは、たとえ失敗しても、単に盗む隙が見いだせなかっただけで相手の不審を買うことはない。ただ、ファンブルしたときや、プッシュ・ロールに失敗した場合は、明らかな窃盗未遂として住人に気づかれる。警察に通報される可能性もあるだろう。
盗んだカセットテープを再生するには、カセットレコーダーが必要だ。大きな町か通信販売で購入できる。
カセットテープには、網元の声が15分ほどの録音されている。
最初の15分は「くずりゅうさまがいらっしゃいます。みなさん、港に集まってください」という、住人への呼びかけが繰り返されている。その後、内容は「……お集まりのみなさん。補陀落に旅立つときです。お祈りしてください。いあいあ、くずりゅう! いあいあ、くずりゅう!」というものに変化して、この呼びかけが3度繰り返されたのち、テープは終わる。
○九頭龍のこと
住人は、九頭龍とは、集落で昔から信仰されている神様だと説明する。しかし、住人たちは「昔、九頭龍大権現という井戸があったらしい」としか答えられず、詳しいことは何も知らない。
網元も同じことを説明するが、〈心理学〉に成功すれば、それが嘘であると見抜ける。そして、九頭龍の名が出たとき、網元が屋敷の裏手(蔵のある方向)を気にしていたことに気づける。
宴席で九頭龍の話題になると、住人の一人が、「おや、ワシらちょうど9人じゃないか。ワシらで九頭龍じゃ」と陽気な表情で言い出す。すると、いままで穏やかだった網元は「罰当たりなことを言うな。九頭龍は古くて大きな神様だ。冗談でも九頭龍を名乗るようなことはするな」と叱る。網元は大声を出したわけではないが、宴席にいる全員が雷を落とされた子供のように居住まいを正して恐縮する。この場面では、九頭龍が恐ろしい存在であることを探索者に印象づけよう。
顔に墨を塗られた漁師に話を聞けば、これは「ふだらくの船頭」に塗られたのだと教えてくれる。もっと詳しい話を聞きたいのなら、探索者の質問に応じて以下のことを教えてくれる。
■「ふだらくの船頭」とは、みんなを補陀落まで導いてくれる観世音菩薩の使いだ。
■「ふだらくの船頭」は、ふだらく祭りで大事な役目があるらしい(詳しくは知らない)。
■「ふだらくの船頭」は、網元からの指示で、村の子供から書道の上手な子(福波正太)が選ばれた。
■「ふだらくの船頭」には、誰も逆らってはならないそうだ。だから、いたずらもさせほうだいなのだ。
探索者が〈歴史〉か〈オカルト〉に成功すれば、祭りのとき、幼い子供を神の使いと見立てて、手厚く祭ったり、そのいたずらを許したりする風習が世界各地にあることを知っている。
福波正太について尋ねれば、少し離れたところをうろちょろている少年を指さす。七五三のような羽織袴姿をした少年だ。手には筆と硯を持ち、楽しそうに住人の顔に墨を塗っては「裏返し、裏返し。みんな怖がる、裏返し」と、自作の歌をはやすように歌っている。
福波正太の持っている硯は、坪内武彦の九頭龍の硯だ。
探索者が硯について問いただせば、人からもらった大事な硯だと答える。ただ、この硯がどんなものかはまったく知らないし、もらった人についての記憶も曖昧だ。これはロール不要で不自然な態度であるとわかる。
硯は深暗からもらったものだが、そのときのことは《記憶を曇らせる》によって忘れている。探索者が硯について問いただしていると、やがて福波正太の心に深暗と面会したときの恐怖がよみがえり、火がついたように泣きだしてしまう。近くに集落の人間がいれば、何事かと駆けつけてくる。適切な対人関係技能ロールに成功して、誤解を解かねば、探索者の悪いうわさが集落に広まるだろう。
そんな福波正太の様子を見て〈精神分析〉に成功すれば、彼の反応が封じ込められた記憶(トラウマ)によるものだとわかる。これは尋常ではない反応だ。
福波正太との会話中に〈目星〉に成功すれば、福波正太の頭髪に這うものの肉体の一部である小さなムカデのような蟲が入り込んでいるのに気づく。這うものは虫を通じて、福波正太の居場所を把握しているのだ(位置の把握のみで、なにをしているかまではわからない)。福波正太は蟲を取られることを嫌がる。力尽くで抑えるか、福波正太の気をそらすなどの工夫をすれば蟲を取り除くことは可能だ。〈生物学〉に成功すれば、この蟲はムカデに似ているが未知の生物だとわかる。この蟲の頭部はどこか人間の骸骨を思わせ、見る者の精神に不安をあおる。この蟲を目撃した探索者は0/1D4+1正気度ポイントを失う。このとき正気度ポイントを失った探索者は、自身の恐怖の性質をより正確に理解できる。「この恐怖は蟲の外見の不気味さがではなく、この蟲とつながっている邪悪なモノの気配を感じたせいだ」とわかるのだ。この邪悪なモノの正体こそ、深暗である。
福波正太にはふだらく祭りのときに「深暗」という字を書いてまわり、住人たちの暗示に「きっかけ」をもたらす大任が与えられている。そのため、深暗は九頭龍の硯を授けた。村人たちが売り払った硯を、その子孫の破滅のきっかけにするという皮肉が込められているのだ。そのため福波正太には「深暗」を恐れる暗示はかけられていない。
福波正太は坪内武彦の腕にあった「シンアン」について貴重な情報を知っているが、口止めされているため、まずは彼に心を開いてもらう必要がある。
福波正太と会話をして〈心理学〉か〈精神分析〉に成功すれば、福波正太の精神が高揚感で躁状態になっているとわかる。これは厳しいしつけにより抑制されてきた鬱屈が、船頭という役目で与えられた自由により一気に解放されたからだ。そのことを理解すれば、探索者は福波正太に大人目線で接するのではなく、同世代の友人のような対等の会話をすれば心を開いてくれると推測できる。前述のロールに成功しなくても、〈言いくるめ〉か〈魅惑〉に成功すれば、福波正太と仲良くするコツだけはわかるとしても良い。
キーパーは探索者との質問に対して、以下の例を参考に返答すること。
■なぜ墨を塗っているの?
「お祭りの試し書きさ。今日は大人たちが怒らないから、すっごく楽しい」
■船頭とは?
「お祭りでみんなが集まったら、合図するんだ。どんな大人も深暗には逆らえないんだって。ショウくんは平気だけどね!」
■合図とは?
「それは内緒だよ。言ったら、網元さんに怒られちゃうよ」
■合図とは?(適切な対人関係技能に成功した場合)
「みんなにショウくんの字を書いてみせるんだ。シンアンって書くんだけど、これは内緒だよ」
■硯はどうしたの?
「これは大事な硯なんだ……えーと、誰にもらったんだっけ? よく覚えてないや」
■シンアンって知ってる?
「どんな大人もシンアンには逆らえないんだ。いつも怒ってばかりのお父さんだってそうなんだよ」
■シンアンはどういう字を書くのか?
「それは絶対に教えられない。けど、ヒントだけならいいかな。シンアンは山のお寺の裏返し……反対なんだよ!」
住人を従わせるきっかけである「深暗」の漢字は、役立つ情報だ。福波正太の出すヒントは、「浅明」の裏返し、すなわち反対の漢字で「深暗」という意味だ。もしも、探索者がこのヒントに固執して長考しているようなら、キーパーの判断でINTロールに成功すれば、「シンアンとは浅明の裏返し。すなわち反対の意味を持つ漢字で深暗と書くのだ」と気づくとしてもよい。もっとも、「深暗」の漢字がわからなくても今後の展開に支障はない。
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○「深暗」の字の効果
集落の住人は、福波正太が毛筆で書いた「深暗」の字を見せると、住人は一時的にぼんやりとなり、簡単な命令に従うようになる。この状態は数十秒続くが、しばらくすれば自然と我に返る。催眠中にしたことの記憶は皆無ではないが、かなり曖昧だ。
探索者が毛筆で書いた「深暗」という字を見せた場合、〈幸運〉に成功すれば、福波正太の字と同様の効果が得られる。探索者が福波正太の字を真似るのなら、〈幸運〉ではなく、適切な〈芸術/製作〉か、またはDEXロールで代用も可能だ。福波正太の字を撮影した画像を使った場合でも、〈幸運〉に成功する必要がある。
なお、この「深暗」の字は網元には効果がない。そもそも暗示をかけられていないためだ。
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集落に来た探索者に、成松慧香のほうから接触してくる。そのタイミングはキーパーが決めて良い。
早めに成松慧香を登場させれば、物語の展開は早まるだろう。
探索者が迷っているとき、または慎重になりすぎているとき、物語を動かす起爆剤として成松慧香を登場させるのも良いだろう。
○成松慧香の企み
成松慧香の仕事は、坪内武彦から硯の買い取ることだった。ところが、坪内武彦は硯をとても気に入っており、交渉は難航していた。
交渉の進まない状況にいらだった網元は、成松慧香に屋敷に隠していた黄金を見せて、「いくらでも金は用意できる!」と、発破をかけた。ところが成松慧香のほうは、そんな大量の黄金を見て、仕事に励むより、それを自分のものにしたいという誘惑に駆られる。
幸いなことに、現在、集落は得体の知れない祭りで浮かれ騒いでいる。黄金を盗み出す絶好のチャンスだが……残念ながら、一人では荷が重い。
そんなとき、集落のことを調べ回っている探索者に気づき、盗みの手伝いをさせようと思いついた。
成松慧香が探索者に望むことは、自分が盗みに入っている間、屋敷の人間の注意を引きつけることだ。
理由については、最初のうちは「蔵に貴重な骨董品を隠しているらしいので、学術的に興味がある」と、見え透いた嘘をつくが、強く問われれば黄金が目当てだと白状する。
屋敷の人間の注意を引きつける手段は問わない。探索者に一任するが、言い方を変えれば成松慧香のほうに良案はないということだ。
交換条件として、成松慧香は探索者が欲しがっている情報を提供する。探索者が望むなら、黄金の2割を分け前として約束する。それでも探索者が乗り気でない場合、切り札として、網元が坪内武彦に危害を加えたことを警察に証言すると約束する(所詮は口約束だが)。
なお、探索者が協力してもしなくても、物語は問題なく展開する。どうするかは探索者が決めることだ。
探索者が協力すると約束した場合、成松慧香から得られる情報は以下の通りだ。また、彼女は岩浜集落に関する情報も、住人並みには知っている。
■黄金のこと
網元は大量の黄金を隠し持っている。古い装飾品や金貨で、おそらく外国の沈没船から引き上げた財宝だと思う。自分はそんな黄金を非正規のルートで現金化してきた。
■黄金のありか
黄金は網元の屋敷の北にある蔵の中だ。そこから運び出してきたのを見た。扉には南京錠がつけられているがバールで破壊できる。準備は万端だ。
■九頭龍の硯のこと
それなりに価値のありそうな硯だが、そこまで珍しいものではない。
網元に依頼されて、ずっと九頭龍の硯を探してきた。元々は浅明寺のものだったそうだが、昔、網元の先祖がその寺の品々を売り払ってしまったそうで、罪滅ぼしのために買い戻しているらしい。九頭龍の硯は、そんな寺の品々の最後の一つだそうだ。
ただ、網元の様子からして、あれは自分の罪滅ぼしというより、誰か別の人物のために必死に買い戻しているような気がしている。
■坪内武彦のこと
自分が坪内武彦を網元の屋敷に連れてきた。硯の売買交渉がうまくいかなかったので、網元が持ち主と直接話し合いたいと言い出したからだ。坪内武彦もどうしてそこまでこの硯にこだわるのか理由を知りたいといって、同行してくれた。
もっとも、網元の交渉は買い取り金額を上乗せするばかりで、坪内武彦が納得するような理由を説明できなかった。そのせいで交渉はうまくいかなかった。
■坪内武彦の身に起きたこと
(この情報は成松慧香の切り札のため、探索者が協力に同意しない限りは提供しない)
坪内武彦との交渉が難航すると、やがて網元は坪内武彦と二人きりにしてほしいと、自分を追い出した。
しばらくして網元に呼ばれて、部屋に戻ると、坪内武彦は気を失っていた。
そして、網元に「どこか適当なところに捨てきてくれ」と依頼された。坪内武彦がケガをしている様子もなかったし、破格の報酬を提示されたので引き受けた
シナリオ上の成松慧香の役目は、探索者に蔵の存在を伝えることにある。
その後、成松慧香がどこまで物語に関わるのかは、探索者しだいだ。探索者は一緒に蔵に潜入しても良いし、彼女から必要な情報だけ引き出したら用済みとしても良いだろう。口約束を反故にするのは容易だ。
なお、探索者が協力しなくても、成松慧香は単独で屋敷の蔵に潜入を試みる。その後、彼女は蔵に潜むショゴスの餌食となり物語から退場する。
岩浜集落から車で30分も走れば、それなりに大きな町に着く。宿泊施設もあるし、立派な図書館もある。この図書館ならば岩浜集落に関する資料も豊富だ。
また、岩浜集落周辺にはいくつも集落があり、近隣住人に話を聞くことも可能だ。
○岩浜集落の古地図
地元の図書館を訪れて司書に問い合わせれば、まだ岩浜村があった時代の古地図を見つけられる。
古地図によると、現在の網元の屋敷を含む、集落の北部すべてが浅明寺の土地だったとがわかる。この規模の集落にしては、かなり広い土地を有しており、当時の浅明寺が相当な権力と財力を持っていたことがうかがえる。また、寺の敷地の南側には「九頭龍大権現」と書かれた井戸らしきものがある。現在の地図と照らし合わせてみれば、それは網元の屋敷の蔵の位置と重なる。
○浅明寺の記録
地元の図書館であっても、浅明寺の文書記録はほとんど見当たらない。ただし、〈図書館〉に成功すれば、40年前に地元の郷土史をまとめた個人出版の書籍に浅明寺についての聞き取り記録が載っているのを発見できる。図書館の書庫の奥に死蔵されていた素人郷土史家の記録のため、その信憑性については疑わしいところもある。
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プレイヤー資料:浅明寺のついての聞き取り
岩浜集落にあった浅明寺の聞き取りは困難を極めた。というのも、集落の住人たちは一様に口が重く、浅明寺のことを語るのはタブーとしているようなのだ。それでも近隣から得た断片的な証言をつなぎ合わせると、当時の真相が見えてくる。
明治以前、寺が強い権力を持っていた時代。浅明寺もまた強権的に岩浜村を支配しており、住民たちは鬱憤をためてきた。そして、明治の世となり各地で廃仏毀釈の機運が高まると、住人たちの怒りは爆発。暴徒となって、寺を焼き討ちした……というのが、浅明寺が廃された真相だろう。
寺の住職がどうなったかは不明である。集落の住人たちが過去を語ることをタブーとしていることから推測するしかない。なお、浅明寺の財産は根こそぎ売却されて、港の整備などに利用されたらしい。
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○地元の怪談
地元の図書館で調べ物をしているとき、探索者が〈図書館〉か〈オカルト〉に成功すれば、気になる情報として、たまたま地元に伝わる怪談を見つけることができる。
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プレイヤー資料:地元の怪談「虫になった坊様」
むかしむかしのこと。やっかいな坊様がおって、村人たちは困り果てていた。
この坊様は村のために念仏をあげることもせず、妙な加持祈祷ばかりしていた。
いよいよ我慢ならなくなった村人たちは、とうとう坊様を捕らえて、岩屋に閉じ込めた。
「これまでの悪行をわびたら許してやろう」
村人が岩屋に呼びかけても坊様は何も答えず、外に出ようとしているのかカリカリ、カリカリと岩をひっかくばかり。
何度呼びかけても、幾日が過ぎても、カリカリ、カリカリ。飲まず食わずで、カリカリ、カリカリ。
やがてみんな恐ろしくなり、おそるおそる岩屋の戸を開いてみた。
すると、そこに坊様の姿はなく、たくさんの虫が岩をカリカリ、カリカリとかじっていた。悪行が過ぎた坊様は、死んで虫となったのだろう。これが因果応報というものだ。
以来、この村の者たちは善行を心がけるようになったという。
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○地元の骨董品店
地元の骨董品店で成松慧香について尋ねれば、何年も前から、そんな派手な女性が通っていると教えてくれる。
過去に浅明寺から売り払われた品を買い集めているそうで、なにか情報があったら教えて欲しいと、このあたりの同業者に声をかけて回っていたという。
実際、浅明寺由来の品(壺や茶道具)を、相場より高値で購入してくれたという話も聞ける。
○近隣地域で話を聞く
岩浜集落以外の地域にある集落は、ごく平凡でなんの秘密もない集落だ。
近隣の住人には、景気の良さそうな岩浜集落のことを妬んでいる者が多い。よそ者に自分から不満をもらうことはないが、雑談をしながら〈言いくるめ〉か〈魅惑〉に成功すれば、ついつい話が盛り上がって、以下のような妬みからの悪口を漏らす。
■あそこの網元はやけに金回りが良い。きっとなにか裏で悪いことをしているはずだ。
■いまは善人ぶっているが、明治のころに村人総出で寺を焼いて、坊様を責め殺した罰当たりどもだ。
■集落から出て行く若いものはほとんどいない。きっと、年寄りたちが集落に縛りつけているのだろう。
江戸末期、まだ深暗が浅明という名で人間の住職だったとき、寺の敷地には「九頭龍大権現の井戸」という神聖な場所があった。この井戸こそは、大いなるクトゥルフを信仰する深きものたちが暮らす深海世界とつながる魔術的な「門」である。
深暗(浅明)は門を通じてクトゥルフに祈りを捧げ、時には人身御供を投げ入れた。その見返りとして、深きものは深暗に黄金を授け、ショゴスを貸し与えてくれた。
寺が焼き討ちされたのちも、井戸だけは残った。やがて深暗が網元を支配すると、井戸を囲むように蔵を建てて、そこを深暗の神聖な住居とした。いまも深暗はこの蔵に潜んでいる。
網元の屋敷は広いため、中の人間の注意をそらせば、気づかれず蔵に近づくことはロール不要で可能だ。または〈隠密〉に成功すれば、たとえ注意をそらさなくても潜入できる。
この蔵は屋敷よりも高い位置にあり、蔵の前に立つと、集落の様子が一望できる。ものをしまうだけの蔵だというのに、網元の敷地内で一番良い場所に建っている。これは奇妙なことだ。
立派で頑丈そうな蔵で、どこにも窓はない。正面に扉が一つあるだけだ。その扉の上には「九頭龍大権現」という扁額がかけられている。それはとても達筆な書だ(深暗が書いたのだ)。
また、なぜかこの蔵からは潮の匂いが漂ってくる。周囲の空気もわずかにひんやりしている。蔵の壁に触れると、やけに冷たく、結露のせいでしっとり濡れている。これは井戸にたたえられた深海の凍てついた海水の影響である。
扉には南京錠がついている。簡単な南京錠なので〈鍵開け〉に成功すれば解錠は可能だ。〈機械修理〉で破壊することも可能だが、元には戻せなくなる。
○蔵の内部
蔵の床は土間で、仕切りはなく大きな一間になっている。驚くべきことに、内壁はすべて金箔で飾り立てられている。まるで寺の本堂のような豪華な造りだ。内部の間取りは「蔵と井戸」を参照。
○骨董品の棚
壁際には棚があり、これまで買い戻された浅明寺の品々が10点ほど並べられている。古い壺、漆器、江戸末期の和時計、茶道具など、その種類は様々だ。〈鑑定〉に成功すれば、どれもそれなりの価値はあるが、取り立てて珍しいものではないとわかる。すべてに共通するのは、時代が150年以上前のものであることだ。
○井戸
土間の中央には、石を積み上げた古い井戸がある。水を汲む設備はなく、縦穴が空いているだけだ。奇妙なことに、井戸の水はかなり上にまでたまっている。手を伸ばせば水面に届くくらいだ。水を調べてみれば、それが異様に冷たい海水だとわかる。
〈自然〉に成功すれば、水温、海面より高い水位などから、この井戸が尋常ではないとわかる。
これは井戸が深きものたちの深海世界と魔術的につながっているせいである。
○白木の台
井戸の手前には、白木の台があり、そこには海水に濡れた古い金貨が置いてある。白木の台には海水がしたたり落ちており、まるでつい先ほど誰かが金貨を置いたかのようだ。この金貨を見て〈歴史〉か〈考古学〉か〈鑑定〉に成功すれば、紀元1000年前後のファーティマ朝の金貨ではないかと推測できる。過去に、この金貨が地中海の沈没船から大量に発見されてニュースとなったこともある。
白木の台の脇には、蓋のない木箱が置いてある。中には無造作に黄金の装飾品や金貨が詰め込まれている。これは深きものからもたらされた黄金で、成松慧香が狙っているお宝だ。合法的に換金するには手間が掛かるが、全部で3億円相当の価値がある。
○御簾
蔵の奥には龍のすかしの入った御簾(みす)がかけられて、入口からは見えないようになっている。奥を見るには、蔵の中に入って御簾をめくるしかない。
奥には分厚い豪華な座布団の上に箱が安置されている。まるで高貴な人物か、ご神体でも扱うような仰々しさで、誰の目にもそれがただの箱ではないのは明らかだ。
箱といっても、それは四隅を彫金で飾られた金具で補強された豪華絢爛な船箪笥(ふなだんす)だ。正面には鍵穴のついた片開戸がある。大きさは40cmほどの立方体で、STR50以上あればなんとか抱えて持ち運べるほどの大きさだ。
〈知識〉か〈歴史〉に成功すれば、船箪笥とは交易船などで帳簿などの大事なものをしまっていた金庫のようなものだと知っている。非常に頑丈で気密性が高く、たとえ船が沈んでも船箪笥は沈まずに、中身を無事に回収できるようになっている。
しかも、この船箪笥は開閉部分の継ぎ目に耐水性を高めるために油紙が貼っている(最近、貼られたものだ)。そのことから、よほど中のものを濡らしたくないのだろうと推測できる。
この船箪笥の中に、すべての黒幕である深暗(這うもの)が潜んでいる。
○ショゴス出現
探索者が御簾をめくり、船箪笥を確認したところで(手出しする前に)、突然、井戸の海水が大量にあふれ出す。まるでなにか巨大なものが井戸から出現しようとしているかのようだ。
探索者が急いで蔵から逃げるなら、何も見ることなく無事逃げられる。
すぐに逃げなかった場合、井戸から黒くい不定形の肉塊があふれ出す。その正体はショゴスだ!
部分的に玉虫色に光る肉塊のあちこちには、輝く金貨がこびりついている。このショゴスが蔵に黄金を運んでいるのだ。このショゴスを目撃した探索者は1D3/1D10正気度ポイントを失う。まだショゴスは全身をあらわにしていないため、失う正気度ポイントは少ない。
ショゴスは侵入者を叩き潰そうとする。探索者がすぐに外に逃げるのなら〈回避〉に成功すれば無事に逃げられる。〈回避〉に失敗した場合はショゴスに突き飛ばされ1D6ポイントのダメージを受けるが、それでもなんとか逃げられる。ショゴスは蔵の外までは追ってこない(探索者が船箪笥を持ち出そうとしたり、蔵に放火したりなど、ショゴスの怒りを買えば話は別だ)。
キーパーは逃げようとする探索者を無闇に殺さないこと。恐怖を与えて、蔵から追い出せば十分である。もしも単独行動をしていた探索者がショゴスを目撃して狂気に陥ったときには"狂気の発作(サマリー)"を適用すること。恐怖のあまり我を失い、気づいたときにはまったく別のところにいたとするのだ(記憶にないケガを負っていることだろう)。
もしも、成松慧香が一人で蔵に潜入していた場合、彼女はショゴスに殺される。蔵には無残に押しつぶされた彼女の死体が残される。別のタイミングで蔵を訪れ、その死体を目撃した探索者は0/1D6正気度ポイントを失う。
シナリオの意図として、このショゴスには後述するふだらく祭りが始まるまで深暗を守る役割がある。あまり早い段階で深暗が滅ぼされてしまうと、集落の謎がよくわかぬまま不完全燃焼で物語が終わってしまうからだ。そして、このショゴスは祭りの最中は、別の海で黄金を探しているためいなくなる。
状況が進むにつれて、このまま港に住人を待機させていては良くないことが起きると予感できるだろう。前述の第6段階となれば、港からでも網元の屋敷に巨大な水柱が立ち上がったのが見える。そうなれば予感は確信へと変わるはずだ。
大勢の住人を適切な場所に避難誘導するには、這うものの計画を逆手に取って「深暗」の字を見た住人たちに命令するのが効果的だ。放送塔を利用すれば、集落全体に命令を発せられる。この方法であれば、探索者は住人を自由に避難させられる。
もしも、探索者が福波正太に「深暗」と書かせるのを未然に防いでいた場合、または暗示のような非人道的な手段を利用したくない場合、住人を避難誘導するには適切な対人関係技能のロールに成功する必要がある。
このロールに失敗したとしても、屋敷のほうで巨大な水柱が立ち上がれば住人たちも危機感を覚えるため、プッシュ・ロールとは別として再度の対人関係技能のロールに挑戦できる。しかも、このロールにはボーナス・ダイスが1つ与えられる。ただし、これが最後のチャンスだ。このロールに失敗すれば、港にいた探索者も住人と一緒に濁流に流されてしまう。行き先はクトゥルフの落とし子の腹の中だ。
探索者が屋敷と港に分かれて行動していた場合、避難誘導にかけられる時間には余裕がある。避難誘導に失敗しても、別のやり方で再挑戦することも可能だ。キーパーは分かれて行動しているせいで人手が足りない分はフォローできるくらいの余裕を与えよう。
一方で、屋敷で深暗を滅ぼしてから港に駆けつけた場合、残された時間はわずかとなる。避難誘導に失敗すれば、あとできることはプッシュ・ロールに賭けるくらいだろう。その代わり、探索者には協力してくれる仲間がそろっているはずだ。
避難誘導のロールに成功したら、キーパーは「岩浜集落概略図」を指し示し「具体的にどこに避難させるつもりなのか?」を探索者に確認すること。集落の高い場所への避難が必要だが、網元の屋敷がある高台の方角は、そちらから水が流れてくるためむしろ危険だ。岩山にある九頭龍神社や、港の倉庫の屋上ならば安全である。船で逃げるのは、沖にいるクトゥルフの落とし子のことを考えるとおすすめできない。なお、〈自然〉や適切な〈サバイバル〉に成功することでも、適切な避難場所を見いだすことができる。
井戸から吹き出した海水は集落の家々を押し流していくが、前述したような場所に避難していれば危険はない。住人たちは恐怖と困惑が入り交じった表情で、その様子を見つめているが、落ち着いたところで避難誘導をしてくれた探索者に感謝する。
○まだ深暗が滅びていない
もしも、第6段階で深暗を滅ぼしていない場合、大量の海水に乗って船箪笥が流されていくのが見える。
そして、そんな船箪笥を迎えるように、クトゥルフの落とし子の影が動き始める。探索者と住人のいる港に迫ってくるのだ!
探索者が船箪笥を回収することは可能だ。その方法はいろいろある。
もっとも簡単な手段は〈水泳〉に成功することだ。この状況にふさわしい技能のため、ロールにはボーナス・ダイスが1つ与えられる。水に流されぬよう港の建造物をつかみながら船箪笥を追うなら〈登攀〉かSTRロールが妥当だろう。義経の八艘飛びのごとく漂流物の上をぴょんぴよんと飛び渡るのなら〈跳躍〉である。投げ縄で引き寄せるのなら〈投擲〉だ。他にも、探索者の特技に応じて、いろいろな方法があるだろう。この場面では、探索者の行動が多少無茶であっても、甘めに裁定してあげるくらいでちょうど良い。
探索者が船箪笥を回収しても、中の深暗を滅ぼさねば、クトゥルフの落とし子が迫ってくる。
船箪笥を開いたのちの展開は「◎14.這うものを退治する」と同様である。ただし、邪魔をする網元がいないので、適切な道具(バールなど)があればロール不要でこじ開けられるとして良い。濡れた船箪笥を燃やすのは、かなり時間がかかる。深暗が燃え尽きる前にクトゥルフの落とし子がやってくるだろう。
深暗さえ滅ぼせば、呼びかける者がいなくなるためクトゥルフの落とし子は深海に帰っていく。
もしも、船箪笥(深暗)を取り逃がしてしまった場合はどうなるのか?
厳しいキーパーならば、深暗に呼び寄せられたクトゥルフの落とし子が港に上陸して、まるで怪獣映画のようにあらゆるものを破壊していくとしてもよい。探索者が生還できるかどうかは〈幸運〉しだいである。
優しいキーパーならば、クトゥルフの落とし子は湾内にまで入ってくるが、船箪笥だけを回収して去って行くとしてもよい。探索者も住人も想像を絶する恐怖を味わうことになるが命だけは助かる。とは言え、強烈なトラウマによって、これからしばらくは悪夢に悩まされるだろう。
どちらにせよ、クトゥルフの落とし子を目撃した探索者たちは1D6/1D20正気度ポイントを失う。