クトゥルフの呼び声大正時代日本シナリオ

覗鬼

――すばらしい! あの書物は真実を伝えていた。これで、私はどのようなレンズを使っても見ることの出来ない、究極の秘密を知る術を手に入れたのだ。

(坂本慶蔵、死亡日より12日前の日記より抜粋)


1,はじめに

 このシナリオは「クトゥルフの呼び声・改訂版」に対応したものですが、RPGマガジンに掲載された「クトゥルフ・イン・スクール(85号)」と「クトゥルフ の呼び声・大正編(88号)」のルールだけでもプレイは可能となっています。
 舞台は大正14年の日本です。
 プレイヤーキャラクター(以降、探索者)に探偵や新聞記者の職業の人がいると、シナリオの導入がしやすくなるので、キャラクター作成時にその旨を告げておく と良いでしょう。


2,能力値対応表

 「クトゥルフの呼び声・改訂版」と「クトゥルフ・イン・スクール」では、能力値の表記法が異なっていますので、ここに対応表を記しておきます。
 なお、このシナリオでの表記法は「クトゥルフの呼び声・改訂版」のものに準拠しております。

「クトゥルフの呼び声・改訂版」
 →「クトゥルフ・イン・スクール」
 STR → 筋力
 CON → 体力
 SIZ → 大きさ
 INT → 知性
 POW → 精神力
 DEX → 敏捷性
 APP → 外見
 EDU → 教養
 SAN → 正気度


3,あらすじ

 レンズに非常に強い興味を持つ男が、密室での不審な死を遂げました。
 彼は自分の妻が不義をはたらいていないかを調べるため、過去を覗くことの出来る水晶を造り出しました。
 ですが、不幸な事故により、彼はティンダロスの猟犬に狙われることになり、とうとう密室での死を遂げることとなります。角のあるところ、どこにでも現れる ティンダロスの猟犬にとって密室殺人など容易いことだったのです。
 彼は、ティンダロスの猟犬が角のない場所には顕れることのできないことに気づき、球体の部屋を造り出そうとしましたが、残念ながらそれは間に合いませんでし た。
 探索者は、この男の友人である作家の依頼で、この事件の真相を探ることとなるのですが、やがて自分たちまでティンダロスの猟犬に狙われることとなります。
 さて、探索者達はあの恐るべきティンダロスの猟犬の牙から逃れることが出来るでしょうか?


4,NPC紹介(下記のイラストをクリックするとサイズが大きくなります)

・浅沼忠介(31歳)人の良い編集者

 T出版社の編集者です。
 小柄の体格に、丸い銀縁の眼鏡をかけた愛嬌のある男です。
 なんとなく憎めない根っからの善人ですが、そのためいろいろと厄介な仕事を押しつけられている苦労人でもあります。
 彼はある作家からの不思議な依頼を受けて、探索者達をこの事件へ巻き込むこととなります。
・坂本慶蔵(35歳・死亡)レンズ狂

 望遠鏡、顕微鏡といった特殊なレンズを通すことによってのみ覗くことが出来る不可思議な世界に、偏執的なまでの興味を持っていた男です。
痩ぎすで、不健康そうな顔つきをしていますが、その大きな両目だけが異様に生気を帯びており不気味です。
 彼は水晶から顕れたティンダロスの猟犬によって密室で死を遂げました。
・坂本トヨ(19歳)憂う若妻

 坂本慶蔵の妻です。元は坂本の家の小間使いでしたが、慶蔵が没する2年前に彼と結婚しました。
 表には出しませんが、彼女は慶蔵のことを深く愛していました。
 日本人離れした美しい肌をもつ女性です。
・作家

 T出版社に小説の粗筋を寄稿した小説家です。
坂本慶蔵の唯一の友人であった彼は、その粗筋の小説が完成した際の原稿料として、出版社に友人の不可解な死の原因調査を依頼してきました。

・ティンダロスの猟犬

 犬に似た姿を持つ神話的怪物で、このシナリオでは過去を覗こうとする者を襲う存在として扱われています。
 この怪物は120度以下の角(部屋の隅など)があれば、どこでも姿を顕わすことが出来るという恐るべき能力を持っています。



5,シナリオの導入

 探索者は、T出版社の浅沼忠介から奇妙な話を持ちかけられることで、この事件に関わることになります。

 探索者の中に探偵がいるのならば、仕事の依頼しに浅沼が尋ねてきます。その際の報酬は成功報酬で50円です。勤め人の初任給程度の額なので、報酬としてはそ れなりのものでしょう。
探索者の中に探偵に類した人がいない場合は、浅沼が友人である探索者に頼ってくるという導入も良いでしょう。
 もちろん、この二つの導入を併用してもかまいません。

 浅沼は、ほとほと困り果てたという表情で探索者のところへ依頼(相談)を持ちかけてきます。
 T出版社に勤める彼は、大衆娯楽雑誌の編集を担当しています。そんな彼が担当をしている作家から、奇妙な手紙が届きました。
 その手紙には、現在執筆中だという小説の粗筋が同封してありました。
 物語は、顕微鏡や望遠鏡、凹面鏡などを偏執的なまでに嗜好する男の奇行を描いたものです。最終的に男は、内側をすべて鏡張りとした巨大な球体を作り、不慮の 事故によりその中へ閉じこめられ狂気に陥ってしまいます。球面の内側をすべて鏡張りにした部屋の光景……それは、人が見てはならない人外境、もしくは悪魔の世 界ではなかったのだろうかと、その文章は締められています。
 粗筋を語り終えた浅沼は、さらに困惑を深めた表情で言葉を続けます。

「実は、この粗筋をくださった先生は、この小説の原稿料の代わりに、ある友人の不審な死に関する調査をしてほしいといってきたのです。信用のおける探偵などを 雇うのはかまわないが、警察沙汰にされるのは困るとクギを刺されまして。困り果てた末、皆さんにご協力を願ったというわけですが……」

 浅沼はその作家のことはよく知っていますが、そのことを探索者に聞かれると名前は伏せさせてくれと言います。探索者たちを信用していないわけではないのです が、編集者として作家の名に傷が付く恐れのあることは極力避けようと考えたからです。


6,坂本家に関すること

 探索者が、その友人の家に行く前に情報を集めようとすれば、以下のことがわかります。

・浅沼から得られる情報
 作家の友人の名前は坂本慶蔵。いまから2ヶ月前、35歳の若さで心臓発作が原因で死去しました。
 住所は目黒の高台にある屋敷で、両親、親族はなく、現在は妻の坂本トヨが独りで暮らしています。
 自分たちのことは、その作家から坂本トヨのほうへ話がいっているそうなので、いきなり尋ねて行っても問題ないそうです。
もちろん、浅沼は自分も坂本の屋敷へは同行するつもりです。

・図書館等で得られる情報
 坂本慶蔵に関する情報を図書館の新聞で調べてみる場合、《図書館》に成功すれば、彼の死亡記事を発見します。死亡記事を重点的に探す場合は、《図書館》×2 で成功すれば記事を発見できます。
 小さな記事で、内容は心臓発作による急死となっています。新聞には、その死に不審な点があったとはされていません。

・坂本邸の近所で得られる情報
 坂本慶蔵の両親は、貿易商でかなりの財産家だったですが、息子である慶蔵は変人で、両親の死去後、その財産を食いつぶすだけの道楽家だったという悪い噂ばか りが聞かれます。
 慶蔵が家をついでからは、美しかった庭園は荒れ放題となり、数年前には敷地内に小さな工場を作ったりなど、山の手の住人にとっては眉をひそめるようなことば かりだったようです。
 ですが、まったく近所づきあいがなく、外出することも実に稀だったため、具体的に彼がどんなことをしていたかとなると、近所の住人は何も知りません。


7,坂本家と坂本トヨ

 坂本慶蔵の屋敷は、広い庭園のある古い平屋の日本家屋です。
 かっては美しかったであろう庭園は長い間手入れをされなかったためすっかり荒れ放題で、巨大な木枠や、鉄パイプ、割れたガラス板など、得体の知れないガラク タが散在しています。
 庭園の裏のほうには、小さな工場が建っています(11項参照)。

 浅沼の言ったとおり、慶蔵の屋敷を尋ねれば、作家から話を聞いていた慶蔵の妻トヨが出迎えてくれます。
 歳はまだ19歳と若く、あまりあか抜けていない感じですが、真っ白い肌の美しい女性です。
 彼女は慶蔵の死後、この屋敷を含めて坂本家の財産を相続しました。慶蔵がその多くを食いつぶしたと言っても、女性一人が生活をしていくには十二分な財産が残 されています。
 この時代にしては珍しく洋服を着ています。以前、慶蔵から着物よりも洋服のほうが似合うと言われたためで、これが彼女の唯一の贅沢です。
 ただ、現在は、2ヶ月前の夫の死というショックから立ち直っていないらしく、表情には陰りがあります。
 彼女は探索者たちを歓迎して、家の中へと通してくれます。
 実は、彼女は慶蔵の死に疑問を抱いています。ただ、元来の人見知りする性格のため、積極的に行動はしませんが、探索者たちには協力的です。

 まず、トヨは探索者を慶蔵の私室へと案内してくれます。
 慶蔵の私室は、母屋に増築した西洋風の部屋です。
 堅牢な造りの部屋で、小さな窓には鉄格子がはめてあり、全体に重苦しい雰囲気がします。
 造り付けのサイドボードには、古今東西のレンズに関する品々が置かれています。骨董品の望遠鏡から、最新式の顕微鏡。大きな拡大鏡に、凸面鏡、可愛らしい万 華鏡や、映る者を不快な姿にねじ曲げる変形鏡などなど、彼の嗜好が一目でわかる部屋になっています。
 トヨはこの部屋の様子を見せて、慶蔵が強度のレンズ狂で、ありとあらゆるレンズや鏡に強い関心を持っていたことを説明します。
 その時、探索者はトヨが眉をしかめながら慶蔵のコレクションを見ているのに気づきます。《心理学》に成功すれば、彼女がこれらの品々に嫉妬に近い感情を抱い ているのがわかります。
 その態度に関して、探索者がトヨに質問をすると、彼女は悲しそうな顔をして「あの人にはレンズ以外に大切なものはありませんでしたから」と寂しそうに言っ て、言葉を濁します。

 キーパーは探索者の行動に合わせて、以下の情報をトヨから語らせてください。

・事件に関すること
 漠然と、慶蔵の死に関して尋ねられると、トヨは以下のことを話してくれます。
 坂本慶蔵が死んだのは、いまから2ヶ月前のことです。自室で息絶えているのを、トヨと召使いたちが発見しました。
 朝、夫が起きてこないことに不審を抱いたトヨたちが内側からかけられた鍵をこじ開け、部屋の布団で死んでいる慶蔵を発見したのです。トヨ達が扉をこじ開ける まで、部屋は間違いなく密室でした。
 このことが慶蔵は心臓発作で急死したという結論を導き出す、最大の要因となりました。

・慶蔵の怯えた態度
 死亡する直前の慶蔵の態度について尋ねられた場合、トヨは以下のことを話してくれます。
慶蔵が死亡する一週間ぐらいまえから、彼が何かに怯えているような素振りを見せていて、時々、冷や汗を流しながら、ものすごい形相で部屋の一点をにらみつけた りもしていたそうです。
 しかし、そのことを慶蔵に尋ねても、何でも無いの一点張りだったとのことです。

・部屋の鍵について
 慶蔵の部屋の扉にある、不必要と思われるほどに頑丈な鍵について尋ねられた場合、トヨは以下のことを話してくれます。
 慶蔵は死亡する5日前に、突然、大工を呼んで自室の鍵を増やすよう工事をしました。
 また、窓には鉄格子をはめ込み、まるで、何かの進入に怯えているかのようでした。
 探索者が調べてみると、たしかに鉄格子は最近取り付けられたものらしく、しっかりとした窓に固定されています。また、扉に増やされた鍵も、どれもが不必要と 思えるほどに頑丈な代物で、戸締まりさえすれば、この部屋が完全な密室になることがわかります。

・うなじの傷
 慶蔵の死因について、何か思い当たることはないかと尋ねられた場合、トヨは以下のことを話してくれます。
 慶蔵の通夜で、夫との最後の名残を惜しんでいたトヨは、慶蔵のうなじに不思議な傷があることを偶然に発見しました。
 それは、直径5mm程度の小さな穴でした。
 最初はホクロかとも思いましたが、よく見てみると、それは体内深くまで続く穴だったのです。
 さらに、もっと奇妙なことにこれほどの深い傷であるにもかかわらず、血が一滴も流れ出ていなかったのです。もちろん、こんな奇妙な古傷などあるわけがありま せん(これほど深い穴ならば、確実に気管や食道まで貫通しています)。
 医者たちも、どうやらこの傷の存在には気づかなかったようです。
なお、探索者が独自に慶蔵の死を確認した医師の話を聞いてみても、死因は間違いなく心臓麻痺だったと答えます。傷のことを聞かれても、そんな不思議な傷がある とは考えられないと言いいます。


8,部屋での情報

 トヨは、探索者にこの部屋を自由に調べてくださいと言います。
 この部屋には、いくつもの探索者の興味を引く情報が残されています。

・部屋の鍵
 この部屋が密室であったことの証拠として、扉には室内の扉にしては不自然なまでに頑丈な鍵がいくつも取り付けてあります。《錠前》に成功すれば、それらの鍵 が、慶蔵が死亡していた朝に強引にこじ開けられた時以前に、何者かの手によって開けられた形跡(針金などによる引っ掻き傷など)がないことがわかります。

・角無水晶
 慶蔵の机の上には、角無水晶を収めた寄せ木細工の美しい小箱が置かれてあります。
 この事件の元凶となった忌まわしい品物ではありますが、その魅惑的な効力から捨てる気持ちにはなれず大切に保管していたのです。
 この角無水晶は、小さなヒビが入っています。
 水晶を調べてみる、よく見てみるといった行動をした探索者は、角無水晶の力を引き出し、過去を覗き込むことになってしまいます(10項参照)。

・薄汚れた小冊子
『モートランのガラスについての真相』という題名の粗末な小冊子です。発行日は大正4年となっており、どこにも出版社名は書かれていなく、著者名もありませ ん。
 この本も机の上に置かれているので、彼の蔵書を調べてみようとすれば、真っ先に見つかります。ただし、この本の内容を読んで理解するには3時間ほど時間をか けて読んだ後、《日本語》に成功する必要があります。
 内容を抜粋すると、以下の通りです。
「ザンツゥー石板に記されたモートランのガラスは不完全なものであり、危険なものであった。
 だが、正しい製法と呪文によって力を与えられた角無水晶(かくなすいしょう)は、神々の罠からも猟犬の目からも逃れることの出来る、完璧な過去を見るための 道具である。
 ただしそれは水晶が完全な球体で角のない時間を保ち続けていればの話だ。猟犬はすべての角のある時間に存在する。もし万が一、水晶に少しでも角が出来たな ら、そこから猟犬は顕れるだろう。
 ひとたび猟犬から狙われれば、逃れる術は角のない時間に自分自身が逃れるか、猟犬をそこへ封ずるしかない」

《オカルト》に成功すれば、ザンツゥー石板というのが非常に希少な書物のタイトルだということがわかります。残念ながら、その書物の内容がいかなるものかまで はわかりませんが、オカルト学者と科学者グループによって作成された何か失われた文明に関する研究書であったという噂は聞いたことがあります。

・慶蔵の日記
 慶蔵の机の引き出しを探せば、すぐに発見できます。
 日記には、表紙の留め具に鍵がかかっています。部屋を捜索して《目星》に成功すれば、日記の鍵は見つかります。また、《錠前》に成功するか、鍵を壊せば、鍵 が無くとも中を読むことは出来ます。トヨは、この日記の鍵の在処を知りません。
 多くの賢明な人間ならば狂人の戯言と判断するであろうこの日記には、事件の謎を解く重要な情報が隠されています。
 ただ、日記は狂気じみた妄想にあふれた内容となっており読むのに非常な努力を要します。よって《日本語》に成功しなくては、必要と思われる情報を得ることは 出来ません。
 以下に日記に含まれている、事件に関わりのあると思われる情報を抜粋します。
「苦労の末、やっと角無水晶を造りだす。
 すばらしい! あの書物は真実を伝えていた。これで、私はどのようなレンズを使っても見ることの出来ない、究極の秘密を知る術を手に入れたのだ。これで、あ の秘密を探ることが出来る。私の心を悩まし続けてきた、あの秘密を!(日付は慶蔵死亡日より12日前のもの)」
「いまのところ、なにも発見は無い。やはり、私の考え過ぎだったのだろうか。あれに限って……(死亡8日前)」
「なんてことだ、角無水晶にヒビが……
 それにしても、あのときに見えた黒い犬のようなものはなんなのだろう……まさか、あれが猟犬だとでもいうのか?(死亡6日前)」
「何か恐ろしいものに見られている気がする。だが、このことは誰にも話せない。話せば、私があれのことを探っていたことが知られてしまう。まさか、あれを疑っ た罰とでもいうのか?(死亡5日前)」
「恐ろしい……奴はどこにでも顕れる。そして、私を追跡している。水晶を割ったせいなのか?(死亡4日前)」
「角のない時間……なんのことだ! とにかく、急いで工場で玉を造ろう。あの中なら安全のはずだ(死亡日3日前)」

 ここで、日記は終わっています。
トヨに日記の最後にある玉のことを聞けば、工場で慶蔵が製造を急がしていた品物があることを教えてくれます。
 ですが、慶蔵の心を悩ましていた秘密に関しては、まったく心当たりがないと答えます。

 他に、この部屋には探索者に役立つ情報はありません。
 蔵書には鏡やレンズの製法に関する技術書以外には、少しばかり海外文学がある程度です。

ところで、キーパーはこの場面での情報を出す順番に注意すべきでしょう。
 次の項で説明される、角無水晶を覗くというイベントはシナリオの展開上、必ず発生させなければいけません。
 ですが、プレイヤーが用心深く、クトゥルフ神話に精通している場合、日記等を読んでからでは警戒して角無水晶を覗くようなことはしなくなる恐れがあります。 それでは、今後の展開に支障をきたします。
 そこで、そのようなプレイヤーを相手にする場合は、キーパーはまず最初に角無水晶を探索者に発見させてください。そうすれば、探索者は自然に水晶を覗いてく れることでしょう。万が一、探索者の誰も角無水晶を覗こうとしない場合は、やむを得ませんので、浅沼が好奇心に負けて水晶を覗き込んでしまったという展開にし てください。


9,過去を覗く

 もし、探索者(もしくは浅沼)が角無水晶を覗くと、ちょうど慶蔵が角無水晶を覗いている場面を見ることが出来ます。
 もし、他の光景を望んでも、探索者が内心では一番強く見てみたいと願っていたこの光景を映し出してしまいます。

 慶蔵は角無水晶で、トヨの生活をのぞき見しています。女学生時代のトヨや、外出しているトヨの映像を覗き見しては、ホッと安堵しているようです。実は、慶蔵 は妻のトヨが本当に自分を愛しているのか調べるために、過去を覗き見していたのです。
 その途中で、いきなり慶蔵は何かに驚いたようで角無水晶を取り落とします。
 水晶に入ったヒビからは、黒い煙が吹き出していきます。それは徐々に形を為していき、黒い犬のような姿となっていきます。ですが、そのことに慶蔵は気づいて いないようです。
 黒い犬は慶蔵のことは無視して、こちらのほうにどんどん近づき、飢えた目でこちらを見つめます。そして、水晶を覆い尽くすほど大写しになった犬は、その口を 開いて管状になった赤い舌をダラリと伸ばし、青っぽい膿汁を滴り落とします。
 ティンダロスの猟犬に、自分の存在を気づかれてしまったのです!
 この怪物の姿を水晶を通してであっても見てしまった者(脇で覗いていた者も含む)は1/1D6正気度ポイントを失った上、その恐ろしい姿に驚いて角無水晶を 取り落としてしまいます。角無水晶は、その衝撃で二つに割れてしまい、永遠に効力を失ってしまいます。
 そして、これよりティンダロスの猟犬は水晶を手に持って過去を覗いていた探索者に狙いをつけます。
 以後、ティンダロスの猟犬に狙われた探索者は、常に部屋の隅などに不気味な気配を感じ続けます。ティンダロスの猟犬が、探索者をつけ狙っているのです。
ティンダロスの猟犬は、部屋の隅などから狙った探索者の背後に顕れては、舌や爪などで挨拶代わりの攻撃をしたりします。探索者は《幸運》《聞き耳》《目星》な どに成功することで、これを避けることができます。
 ただし、ティンダロスの猟犬は最後のイベントまでは探索者の前に姿を見せず、ただ、この怪物が顕れた角には青い膿汁が不吉に残されているのみです。
 キーパーは、哀れな探索者に宇宙的にも特別厄介な相手に見込まれてしまった恐怖と絶望を味あわせてください。


10,ガラス工場

 庭園にある工場は、慶蔵が自分の嗜好を満足させるために作ったガラス工場です。ここでは、雇われた技師たちが慶蔵の望みどおりのレンズや鏡が造り出していま した。
 閑散とした工場中央には、支柱などで固定された直径3mほどの巨大な球状の物体が置いてあります。これが、慶蔵の最後の作品でした。これができあがったの は、慶蔵の死後、数日が経ってからのことです。
 この仕事を最後に、工場の技師達は全員解雇されました。
 この球体には扉がついており、中へはいることが出来るようになっています。中は完全な鏡張りになっており、照明器具が球体の内側に埋め込まれています。
 これは小説の粗筋中で登場した球体ですが、慶蔵はこれを使う前に死亡してしまいました。
 もし、探索者が興味を持って内部へ入ってみても、小説の粗筋にあったような狂気に陥るようなことはありません。ただ、全面を凹面鏡に覆われた球体内部の光景 は、さぞや異常なものでしょう。

 ところで、この球体の内部にはティンダロスの猟犬も顕れることは出来ません。ここには角がないからです。
ティンダロスの猟犬に狙われた探索者は、この球体の中に入れば猟犬から逃れることが出来ます。ですが、それも一時的なものでしょう。この球体の中で一生を暮ら すわけにはいかないからです。
 しかし、もしこの球体の中にティンダロスの猟犬を閉じこめることができれば、探索者達はあの怪物を封じることが出来るのです。その危険ははかりしれません が、これ以外に、あの怪物から逃れる手はありません。


11,角のない時間へ

 時間が経つにつれて、ティンダロスの猟犬に狙われた探索者は、あらゆる角から不吉な視線を強く感じます。キーパーは探索者に、もう時間的余裕がないことを知 らせてください。
 追いつめられた探索者はティンダロスの猟犬を球体の中へ閉じこめる作戦を考え出さねばなりません。最も単純な方法は、狙われた探索者が球体に入って囮とな り、ティンダロスの猟犬を誘い込むという方法でしょう。
 かなり危険な方法ですが、確実な方法でもあります。
 キーパーは探索者が他の作戦を思いついたのならば、それがよほど愚かな作戦でない限り、それを認めてあげてください。
 ここが、探索者にとって最大の頭の使いどころなので、キーパーはゆっくりと時間を割いて、存分に作戦を立てさせてあげてください。

 探索者の準備が整い次第、ティンダロスの猟犬との対決のイベントへと移行します。
 待ち受ける探索者の前にティンダロスの猟犬は姿を顕わします。
 最初は、どこかの隅から煙が沸き上がり、その中から頭を顕わします。身体は青黒く、口から伸びた長い舌だけが不気味に赤くぬめっています。全身に青っぽい膿 汁を滴らせ、ゆっくりと見込んだ探索者のほうへと近づこうとします。
 ティンダロスの猟犬は邪魔をされない限り、他の人間には見向きもしません。

・ティンダロスの猟犬
STR11 CON32 SIZ18
INT18 POW23 DEX12
移動 6/飛行 40  耐久力25
ダメージボーナス:+1D4
武器:前足 90% ダメージ 1D6+1D4+膿汁(注:膿汁のルールは特殊なため、このシナリオでは省略します)
   舌  90% ダメージ 1D3POWを吸収
装甲:2ポイントの皮膚;死なないかぎり1ラウンドに耐久力4ポイントずつ再生;普通の武器ではダメージを受けない
呪文:このシナリオでは呪文を所持していません
正気度喪失:ティンダロスの猟犬を見て失う正気度ポイントは1D3/1D20

 ティンダロスの猟犬の攻撃手段は1D6をロ−ルして決定します。
 1〜4→前足での攻撃
 5〜6→舌での攻撃
 舌での攻撃を受けると、身体に小さな穴が開きます。これは慶蔵のうなじにあった傷と同じものです。

 もし、ティンダロスの猟犬に戦闘を仕掛ける探索者がいた場合、キーパーはそれが無意味であることを教えてあげてください。
 普通の武器では傷つかない身体や、強力で無慈悲な攻撃を見せつけられれば、この怪物とまともにやり合うことがいかに無謀なことかプレイヤーも理解してくれる でしょう。

 キーパーは、球体に入っている探索者にティンダロスの猟犬がその内部へやってこようとする、想像を絶した恐怖を演出してください。
 ティンダロスの猟犬が球体内部へ入ってきたら、探索者はティンダロスの猟犬との《DEX》での抵抗ロールをします。これに成功すれば、自分だけ先に球体から 抜け出すことが出来ます。失敗すれば、一回、ティンダロスの猟犬の攻撃を受け、再度、抵抗ロールに挑戦することとなります。
 抵抗ロールに成功し、探索者が脱出に成功したのなら、今度は扉を閉めなくてはいけません。扉を閉める探索者とティンダロスの猟犬との《STR》の抵抗ロール をします。これに成功すれば、球体にティンダロスの猟犬を閉じこめることに成功します。
 失敗する限りは、扉を完全に閉めることは出来ません。ティンダロスの猟犬は扉の隙間から、自分を閉じこめようとする探索者に舌で攻撃を仕掛けます。

 塞がれた球体の内部は不気味なほど静かで、ティンダロスの猟犬が暴れている様子もありません。探索者達は本当に閉じこめることが出来たか不安になるでしょう が、それを確認するためには再び扉を開けてみるしかありません!
 キーパーは、これらの行動で他の探索者が適切なサポートを行えば、《DEX》や《STR》の数値にプラスの修正を与えてください。球体の中にいる探索者の手 を引っ張る、ティンダロスの猟犬の背中を後ろから押す、といった程度の行動でも十分に修正の対象となるでしょう。

 これで、探索者達はティンダロスの猟犬の脅威から逃れることが出来ました。
 後は、二度と球体からティンダロスの猟犬が脱出できないよう後処理をするだけです。漆喰で固めてしまうといった方法が考えられるでしょう。


12,大団円

 この信じがたい神話的事件を、そのまま正直にトヨへ話すかどうかは探索者次第です。浅沼は、この信じがたい事件の真相を作家へ報告すれば依頼は無事に完了す るので、どちらでもよいと思っています。
ただ、慶蔵がトヨの愛を確認するために(歪んだ方法ではありますが)過去を覗こうとしていたという真相は、彼女にとっては喜ばしい事実です。レンズにしか興味 を持っていないと思っていた最愛の夫が、そこまで自分のことを気にかけてくれていたということは、彼女にとって夫の愛を初めて知ることだったのです。

 この神話的事件の真相を知り、無事に生還した探索者達は1D10正気度ポイントを獲得します。
 また、ティンダロスの猟犬に狙われながらも、その牙から見事に逃れることに成功した探索者は、さらに1D10正気度ポイントを獲得。トヨに彼女が慶蔵に愛さ れていたという事実を伝えた探索者は、さらに1D4の正気度ポイントを獲得します。

 ところで、この事件の翌年である大正15年の10月。大衆文芸という雑誌で、江戸川乱歩が「鏡地獄」という不思議な小説を発表します。
 そして、その二ヶ月後。
 大正が終わり、日本史上、最も激動の時代となる昭和が幕開けたのです。


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