---------------------------------
本作は、「 株式会社アークライト 」及び「株式会社KADOKAWA」が権利を有する『新クトゥルフ神話TRPG』の二次創作物です。
Call of Cthulhu is copyright (C)1981, 2015, 2019 by Chaosium Inc. ;all rights reserved. Arranged by Arclight Inc.
Call of Cthulhu is a registered trademark of Chaosium Inc.
PUBLISHED BY KADOKAWA CORPORATION 「新クトゥルフ神話TRPG ルールブック」
---------------------------------
1,はじめに
このシナリオは"新クトゥルフ神話TRPG ルールブック"に対応したシナリオで、探索者2〜4人向けにデザインされている。"新クトゥルフ神話TRPG ルールブック クトゥルフ2020"があれば、より楽しめるだろう。
プレイ時間は探索者の作成時間を含まずに4時間程度だろう。
舞台は1999年の日本。残暑厳しい季節。海辺の古い洋館で事件は展開する。
シナリオの設定上、少なくとも一人の探索者の祖父は、すでに死去していることにしなくてはならない点に注意してもらいたい。
なお、あらかじめ探索者同士は知り合いだったほうが、ゲームはスムーズに展開する。
---------------------------------
コラム:21世紀の杉山屋敷
このシナリオが1999年を舞台としているのは、執筆された時期が1999年だったためだ。
改訂するにあたり、時代を変更しなかったのは、昭和初期という独特の時代を生きた若者たちを登場させる都合上、2020年以降では当時生きた人物(佐藤政雄)が極端に高齢になってしまう問題が生じるためである。
しかし、キーパーが細かな時代設定にこだわらないというのなら、探索者が生まれる以前のことは大雑把に「昔のこと」としてしまい、このシナリオを現代に置き換えてプレイすることも可能だ。キーパーは自由に設定を変更してかまわない。
---------------------------------
2,キーパー向け情報
シナリオの事件の発端は、昭和初期にさかのぼる。
当時、財界人や地方名士の子息たちが集い、ボヘミアンを気取って、文学、芸術、科学、冒険など、あらゆる娯楽を楽しむグループがあった。
メンバーは杉山早苗(当時25歳)、金谷幸治(当時27歳)、藤田佐和子(当時20歳)、佐藤政雄(当時18歳)、そして手紙をもらった探索者の祖父だ。
彼らは親の財力とコネを利用して、いろいろと物珍しい海外の品々を収集しており、その中には不思議な浅浮き彫りが含まれていた。これが事件のすべての元凶となるアーティファクト「浅浮き彫り」である。この浅浮き彫りの正体は「大いなるクトゥルフ」を崇拝する古いカルトが、神に生け贄を捧げるために造り出した罠だったのだ。
この浅浮き彫りには、狙った犠牲者の精神を支配し、やがては肉体までも浅浮き彫りの中に取り込み、大いなるクトゥルフの御許へ引き寄せてしまう恐るべきパワーがある。
これを造ったカルトの人々(人間ですらないかもしれないが)がいなくなったあとも、浅浮き彫りは新たな犠牲者を求めて、世界の好事家の手を渡ってきたのだ。
なお、この浅浮き彫りは、オーガスト・ダーレスの小説「謎の浅浮き彫り(英題Sonetihing in Wood)」に登場し、ジェイスン・ウェクターを取り込んでしまったものと類似したアーティファクトである。
目の肥えたメンバーにとって、浅浮き彫りは好奇心に対象となった。
浮き彫りの由来を調べようと文献を漁り、居間に飾っては、浅浮き彫りの光景を眺めながら様々な空想にふけるようになる。
そのような若者たちの熱意を、浅浮き彫りは好ましく思い、クトゥルフに捧げるにふさわしい人間だと判断する。
最初の犠牲者は、浅浮き彫りを預かっていた屋敷の住人、杉山早苗だった。
ある晩、彼女は浅浮き彫りの魔手に捕らわれてしまい、世間的には、行方不明として処理されとなる。もちろん、彼女はそのまま見つかることはなかった。
続いて、数年後に杉山早苗をしのんで屋敷を訪れた藤田佐和子を取り込んだ。
そして、20年以上経ってから、浅浮き彫りの歴史的価値に気付いて屋敷を訪れた金谷幸治も取り込んだ。
そして、時代が過ぎてゲームが開始される1999年。
浅浮き彫りの渇望はいまだ満たされてはいない。そこで、すでに取り込んだ杉山早苗などを忠実な手下として、現代によみがえらせた。
杉山早苗たちは、まず昔の自分たちの集会場であり、浅浮き彫りが保管されている屋敷の住人の杉山芳子を殺害して、探索者をおびき寄せる場所として乗っ取った。
そして、新しい時代になじめるよう、比較的、最近のことを知っている金谷譲治の指導で、現代人の立ち振る舞いを身に着けた。彼らは完全に正気を失っているが、高い知性と教養をもった始末に悪い存在なのだ。
ただし、アメリカの先代大統領の名前や、ドイツの統合、クェート侵攻といった、最近(1999年当時)の一大ニュースまでは勉強しきれていない。これらの一般常識の欠落は、探索者が彼らの正体を暴く手掛かりとして利用できることだろう。
こうして、それぞれが自分を昔のメンバーの子供や孫の役をこなせるようになると、探索者たちを屋敷におびき寄せたのだ。
彼らの目的は、浅浮き彫りが目をつけたメンバー(と、その子孫)を浅浮き彫りへ取り込むことだ。そうすることで、彼らは邪神からの褒美として、深海に沈む呪われた都市で永遠に踊り続ける栄誉を与えられるのである。
---------------------------------
コラム:定番の舞台と意外な真相
このシナリオでは、探索者は外界と隔絶された洋館に孤立し、自分たちだけでそこに潜む脅威と対決することになる。
こういった展開をするホラーなどの作品では、自分以外の人間の中から、邪悪な存在を探すのが課題となることも多い。しかし、このシナリオではその裏をかいてほぼすべてのNPCが犯人という、アガサ・クリスティーの有名なミステリーのような仕掛けとなっている。プレイヤーには犯人探しを楽しんでもらいつつ、最後に用意した意外な真相に驚いてもらおう。
---------------------------------
3,主なNPC(ここをクリックすると印刷用の大きな イラスト が出ます)
●杉山奈緒美(すぎやまなおみ) 本名、杉山早苗(すぎやまさなえ)。外見は25歳に見える。 探索者に、今回の事件の発端となる招待状を出した女性だ。 少しウェーブした髪を腰のあたりまで伸ばし、体つきはほっそりとしている。その物腰はゆったりとしたもので、上流階級の雰囲気が漂っている。一人称に「わたくし」という言葉を使うなど、少しばかり浮き世離れした優雅な言葉遣いをする。 また、後述する杉山芳子の服を借りているため、服装が年の割に地味だ。 当時のグループ内では、その美しい容貌と、莫大な財産、そして洗練された会話と社交術によってメンバーのリーダー的な存在であった。ただし、彼女は女傑として人を従えるリーダーではなく、グループのマドンナとしてみんなに崇められるタイプである。どちらにせよ、女性の立場の低かった当時にしては、それはとても珍しいことだった。 横内公憲 25歳に見える/完璧なる女主人 STR 50 CON 80 SIZ 60 DEX 60 INT 85 APP 80 POW 80 EDU 90 正気度 0 耐久力 14 db:なし ビルド:0 移動:8 MP:16 近接戦闘(格闘) 25%(12/5)、ダメージ 1D3+db 回避 40%(20/8) 技能:言いくるめ 55%、オカルト 50%、隠密 50%、鑑定 15%、クトゥルフ神話 15%、心理学 60%、説得 40%、手さばき 40%、図書館 30%、ほかの言語(英語) 40%、魅惑 65%、目星 30% |
|
●杉山芳子(すぎやまよしこ) 女性。68歳。探索者が招待された屋敷の、現在の本当の主人である。 品の良い老婦人で、屋敷に一人で暮らしていたが、彼女はゲーム開始時にはすでに杉山奈緒美に殺されており、生前の彼女に会うことはない。 血縁としては杉山早苗の妹の娘であり、姪に当たる。 |
|
●金谷譲治(かねたにじょうじ) 本名、金谷幸治(かなたにこうじ)。外見は48歳に見える。 べっこうのメガネをかけて、白髪の交じった髪をオールバックにした中年の男性。 背広にノーネクタイというラフなもので、あまり服装には気を配っていないように見える。顔には深い笑い皺が刻まれているが、その眼光は鋭く、少し会話を交わせば、彼が驚くほど教養深い人物だとわかる。 話術が達者で誰とでも気持ちよく会話するが、それでいてどこか他人と距離を置いていると感じさせることもある。これは彼が常に他人を見下しているためだ。 グループの中では、一番、教養深く、いつも話題の提供者となっていた。 しかし、彼は名家の出身ではあったが、財産らしいものはほとんど失われており、そのことにコンプレックスを感じていた。そのため、教養だけは誰にも負けないようにと勉学に励み、やがて大学教授となったのである。 どこから見てもインテリの金谷譲治だが、柔道の有段者という意外な一面を持ち合わせている。 金谷譲治 48歳に見える/教養深き男 STR 80 CON 65 SIZ 75 DEX 55 INT 65 APP 45 POW 50 EDU 96 正気度 0 耐久力 14 db:+1D4 ビルド:1 移動:7 MP:10 近接戦闘(格闘) 70%(35/14)、ダメージ 1D3+db 回避 50%(25/10) 技能:言いくるめ 40%、隠密 40%、鑑定 50%、クトゥルフ神話 8%、考古学 30%、自然 50%、図書館 60%、ほかの言語(英語) 70%、歴史 50% |
|
●藤田綺羅子(ふじたきらこ) 本名、藤田佐和子(ふじたさわこ)。外見は22歳に見える。 髪型はショートカットで、活発そうに見える女性。 目は少しばかり細めだが、そのせいでいつもにっこりと微笑んでいるように見えて、とてもチャーミングな外見だ。そんな表情に違わず、性格のほうも明るく、若い探索者とも話が合うことだろう。スタイルも大変良く、特に胸が大きく、人の目を引きつける。 彼女はレンズに薄い色のついたメガネをかけているが、あまり似合っていない。また、紺のブレザーに白いシャツと、メンズライクな格好をしている。 彼女は良家の子女だったが、男性陣の中でも堂々と活躍する杉山早苗にあこがれ、彼女のグループに参加していた。そのため格好だけでも気後れしないよう、男性のような服装をしているのである。 当時、良識ある大人たちの間では、杉山早苗のグループは不良のイメージがあったため、彼女はよく両親と衝突していた。 藤田綺羅子 22歳に見える/ボーイッシュな女性 STR 40 CON 40 SIZ 50 DEX 60 INT 65 APP 70 POW 45 EDU 80 正気度 0 耐久力 9 db:なし ビルド:0 移動:8 MP:9 近接戦闘(格闘) 25%(12/5)、ダメージ 1D3+db 射撃(32口径リボルバー) 40%、ダメージ 1D8 回避 40%(20/8) 技能:隠密 80%、クトゥルフ神話 5%、追跡 60% |
|
●佐藤政雄(さとうまさお) 男性。88歳。いつも人を上目使いににらむような目つきをしている、陰気な老人だ。 彼は、メンバーの最後の生き残りである。 いつも眉間に皺を寄せ、口元はしっかりと閉じられている。内臓を悪くしており、顔色はくすんでおり、アゴから下にかけて余った皮がたるんでいる。 若い頃は資産家だったが、終戦と同時に破産し、いまではすっかりおちぶれた生活をしている。昔、仲の良かったメンバーは次々と行方不明となり、彼はずっと孤独の中を生きてきた。 自分からは口を開くことはほとんどなく、話し掛けられても必要最低限の返事しかしない。自分に自信の無い、気弱な老人だ。 さらに、最近は物忘れがひどく、人の名前もなかなか覚えられなくなっている。これがさらに彼を人嫌いにさせている。 グループの中では影の薄い存在で、個性豊かなメンバーと一緒に過ごして、自分がその仲間だということを味わうだけで満足するような、そんな情けない若者であった。 彼はメンバーが行方不明となったグループの集いに参加するのは気が進まなかったが、現在の生活の厳しさから、遺品の分け前ほしさにやってくる。 しかし、シナリオの中盤、彼は無残な死を遂げることになる。 |
4,シナリオの導入
季節は残暑厳しい夏の終わり頃。
探索者の元に、覚えのない相手からの手紙が届く。以降、手紙をもらった探索者のことを「手紙をもらった探索者」と呼称する)。手紙の内容は以下の通りだ。
「拝啓
突然のお手紙を差し上げる無礼をお許し下さい。
私は、貴方様の祖父君と交友のございました、杉山早苗の孫で杉山奈緒美と申します。
この度、お手紙を差し上げましたのは、祖母の残した書類を整理しておりましたところ、祖父君のご遺品を当家にてお預かりしていることが判明しましたためであります。素人目ながらもとても価値のあるものに見受けられましたので、私の判断だけではどうすることもできず、こうして筆をとったしだいです。
ご遺品は貴方様の祖父君、私の祖母である杉山早苗、そして他のご友人の方々と共同で所有していたものらしく、一時的に当家で保管させていただいていたようなのです。
ご遺品は、とても古い時代の木製のレリーフで、素朴ながらも味わいのあるものです。日本のものではなく、どこか外国のもののようなのですが、知人の話では、おそらくは数百年前の作品でろうとのことでした。それでも、当時の製作者の息吹が感じられるような逸品です。
このようなせっかくの品ですので、このまま我が家に死蔵させるのはもったいなく思い、七十年近く経ったいまですが、再びこの件にて所縁の方にお集まりいただき、ご相談をさせていただきたいのですが、いかがなものでしょうか?
ご多忙のところお手をわずらわせて誠に恐縮ですが、ご連絡をお待ちしております。
かしこ
杉山奈緒美」
手紙は青いインクの万年筆で書かれている。やわらかな女性の字で、かなりの達筆だ。
品の良い和紙の封筒と、それに合わせた夏草の透かしの入った便箋が使われている。手紙の最後と、封筒の裏書きには差出人の住所と署名があり、それは手紙の内容通り「杉山奈緒美」となっている。
杉山奈緒美の住所は、キーパーが自由に決定して構わない。
場所の条件としては、探索者がそこまで行くのが面倒でない程度の距離で、太平洋の海辺に近く、そこそこ田舎であることが望ましい。東京都を例とするなら、千葉の南房総あたりが適当だろう。
手紙の返事を送るなり、書かれてある番号に電話するなりすれば、杉山奈緒美から探索者の都合の良い日取りで、会合を開きたいとの返事がくる。
また、探索者が望むなら、交通費などの経費はすべて杉山奈緒美が持ってくれる。
用心深い探索者が杉山奈緒美の身元を調べたり、手紙の住所の人間を調べたりした場合、〈図書館〉か〈法律〉に成功すれば、その住所にある屋敷が「杉山芳子」という人物の名義になっていることがわかるが、それ以上の情報は得られない。
また、他の探索者にも、この会合に参加してもらわねばならない。複数の探索者に杉山奈緒美からの手紙が届いたことにしても良いが、探索者全員に届いたとなると、やや無理がある。
よって、手紙をもらった探索者の友人や相談相手(法律に強い人物、骨董品にくわしい人物、年長者など)として同行してもらうのが良いだろう。単純に海水浴に行くついでに、車で友人を送るだけといった関わり方でも十分だ。
ここはプレイヤー同士で相談してもらい、手紙をもらった探索者に同行する理由を考えてもらうのがよいだろう。
5,杉山屋敷の人々
手紙にあった住所を訪ねてみると、かなり不便な所にある。
自動車以外の手段では、最寄りの駅からタクシーで小一時間はかかり、途中、背の高いススキに半分隠された未舗装の道を走らねばならない。また海から吹く風は強く、なんとなく苦いような匂いがする。
杉山奈緒美の屋敷は、海辺に面した古い洋館だ。年代物のレンガが多く使われ、高い切妻屋根と、大きなガラス窓が印象的な洒落た建物である。
この洋館の造りを見て、〈歴史〉か〈知識〉に成功すれば、大正末期頃に建築されたものであることがわかる。あちこちに改修のあとはあるが、建築当時の面影を崩すことなく、いまもそのままの姿で残っているのは、とても貴重と言える。
屋敷の回りに人家はなく、見渡す限りススキの野原でとても寂しい土地だ。
少し高いところに登って見てみれば、土地全体が低いのかあちこちに湿地のように水たまりが残っているのが見える。〈自然〉に成功すれば、ここが水捌けの悪い土地であることがわかり、こんな土地に70年以上前の建物が当時の姿を残しているのは、とても珍しいことだとわかる(これはクトゥルフと縁のある浅浮き彫りの加護のおかげだ)。
屋敷の玄関の呼び鈴を押せば、すぐに杉山奈緒美が出てくる。
彼女は薄いラベンダー色のワンピースを着ており、「(手紙をもらった探索者の名前)さんですね?」と確認してから、にっこりと微笑む。
手紙をもらった探索者に同行者がいたとしても、少しも動じた様子も見せずに、「お友達のかたですか? ようこそ、歓迎いたしますわ」と屋敷内の応接間を兼ねた居間へ案内する。キーパーは杉山奈緒美を上品で、おおらかな女性として演出すること。
すでに屋敷には先客(佐藤政雄以外は最初からいたクトゥルフの手下だが)がおり、探索者たちは最後の客である。佐藤政雄はタクシーで来たので、外に車はない。
杉山奈緒美は「これでみなさん揃いましたね」と言って、先客たちも交えて自己紹介をしてもらうよううながす。先客たちの外見などについては「3.主なNPC」を参照すること。
まずは、このような場に慣れている金谷譲治が、率先して挨拶する。
「はじめまして、金谷譲治といいます。杉山早苗さんには、私の父がお世話になったそうで……このたびは奈緒美さんから手紙を頂き、参上したしだいです。
以前は大学で教鞭を執っておりましたが、いまは職無しの身で、気が向いた時に論文なんぞを書いています。専門は民俗学でしたが……今回の遺品は、とても興味深いもののようですよ」
次は藤田綺羅子だ。彼女は物怖じしない態度で、明るく振る舞う。
「こんにちは、藤田綺羅子です。私のお婆さんの遺品があると手紙をもらって……なんだか昔の話で実感はわかないんですが、杉山さんが困っているみたいだったのでお邪魔しました」
次は佐藤政雄だ。彼は顔を伏せて妙におどおどした様子で自己紹介をする。
「佐藤政雄です。杉山早苗さんは昔の友人です。彼女が行方不明になってからは、こちらの家ともまったく付き合いが無く……この屋敷にくるのは50年……いや70年ぶりぐらいでしょうか。
それにしても、この屋敷は昔と変わっていない……物忘れのひどくなった老いぼれの頭にも、この屋敷のことはしっかりと残っている……ほんとうに、ここは何も変わっていない……」
自己紹介を終えると、彼は黙り込んでしまう。そして、時々、杉山奈緒美と藤田綺羅子のほうを見ては、脅えたように目をそらしたりする。この二人が、70年前の杉山早苗と藤田佐和子とあまりにそっくりなので戸惑っているのだ。
最後は杉山奈緒美だ。屋敷の主人らしい落ち着いた態度で、丁寧に挨拶する。
「本日は、お忙しい中、みなさまにはお集まりいただきましてありがとうございます。私がみなさんにお手紙を差し上げました杉山奈緒美です。
では、さっそくお話にあった遺品をお見せいたしますね」
そう言って、杉山奈緒美は客たちを二階へと案内する。
6,屋敷の部屋
ゲーム内で重要な屋敷の部屋などについて説明する。ここで説明されている部屋以外にもトイレや台所など、普通の屋敷にあるような部屋はあるが、説明は省略する。キーパーは必要と思われる部屋を追加してもかまわない。
●応接間兼居間
玄関から入ってすぐのところに広い居間があり、そこが生活の中心の場となっている。
ソファーセットがいくつかあり、10人程度ならば十分にくつろげる空間だ。
少々行儀は悪いが、やわらかく分厚いじゅうたんにクッションを置いて、ゆったり足を伸ばすのも悪くない。実際、杉山奈緒美は夜も更けてリラックスした雰囲気になると、じゅうたんの上でクッションに半身をもたれかけ、のんびりすることが多い。杉山早苗たちのグループは西洋風の生活様式を取り入れていたが、西洋風の礼儀作法にうるさいわけではなかった。当時の良識ある大人が眉をひそめるような、気取った無作法さを彼らは好んでいたのである。
応接間の調度品は超一流で、テーブルセットやサイドボードは、売れば新車が一台買えるぐらいの価値がある。
また、南洋のユニークな彫像や、エジプトの象形文字が刻まれた石版のかけら、すでに取り引きが禁止されている希少な動物の剥製などが飾られており、落ち着いた洋館の居間をエキゾチックに色付けている。〈鑑定〉、〈科学(〈生物学〉〉、〈考古学〉などに成功すれば、これらがすべて本物である事がわかります。これらの品々は、まだ輸入に関する規制が甘かった時代に、杉山家が独自のルートで購入したものだ。とは言え、違法となる品はない。
●読書室
かなり立派な書斎で、500冊以上の古書、稀覯書が保管されている。
深いつやのあるオーク材で造られた、年代物の小さな丸テーブルとイスは、かなりの値打物だが、この部屋ではいまも現役で使われている。
部屋は本棚が場所を占領しているため5人も入れば一杯だ。
かつて、ここでは詩の朗読や文学の談義が花開いた場所であった。しかし、いまは埃っぽくあまり使われていないことがうかがえる。
読書室の本棚を見渡して〈目星〉に成功すると、きちんと整理分類された本棚の中で、一冊だけ本が抜けていることに気づく。〈図書館〉に成功すれば、抜けている棚に並んでいる本のジャンルからオカルトに関する本だろうと推測できる。この情報は読書室で3時間程度をかけてゆっくり本を吟味することがあれば、ロール不要で得られるものだ。
積極的に本棚を調べて〈目星〉に成功すれば、きれいに並んでいる本の中で一冊だけ背表紙が手前に出ている本があるのに気づく。それは谷崎潤一郎の小説「痴人の愛」で、昭和2年発行の本だ。「痴人の愛」を読めば、物語の登場人物に「奈緒美」「譲治」「綺羅子」という名前があるのに気づける。
この名前の符合について杉山奈緒美たちに尋ねれば、それは自分たちの祖母や親たちの好きな小説で、自分たちの名前は登場人物の名から借りたのだと説明する。
実際、杉山奈緒美たちは、自分たちの新しい名前を「痴人の愛」から借りてきたため、名前が一致しているのだ。
読書室で3時間程度を過ごして〈図書館〉に成功すれば、貴重な古書の中に、海外の新聞の切り抜きをまとめた、とても古びたスクラップブックを発見する。
新聞は1930年代アメリカの「ボストン・ダイアル」紙で、切り抜かれている記事は、すべて音楽と芸術の批評家であるジェイスン・ウェクターという人物に関わるものだ。
ジェイスン・ウェクターという名を聞いて、音楽や芸術に関する〈芸術〉に成功すれば、彼が音楽や芸術に対し、痛烈ながらも斬新な批評を次々と発表し、当時物議をかもし出した人物であることと、話題の渦中にあるとき、突如として行方不明になったことを知っている。
〈ほかの言語(英語)〉に成功すれば、彼の書いた批評の内容は確かに独創的でありつつ、かなり手厳しいものであると感じられる。また、批評の文中にたびたび「アハピ」「アフムノイダ」「ポナペ派」といった意味不明の単語が登場することに気づく。そして、これらの切り抜きの最後は、ジェイスン・ウェクターが突如、謎の失踪を遂げたという記事である。
ジェイスン・ウェクターに関する記事は、杉山早苗たちが、浅浮き彫りについて調べていくうちに発見した『ポナペ教典』に記された冒涜的な内容と、ジェイスン・ウェクターの批評にあった謎の単語に共通点を見いだして、興味を持って収集したものだ。
ただし、本シナリオにおいて、これらの情報はさほど重要ではない。いうなれば、クトゥルフ神話ファンへのサービスのようなものである。
●食堂
食事をする場所だ。10人掛けの大型のテーブルがある。
杉山家の生活スタイルとしては、食堂は本当に食事をするためだけの場所であり、食後のコーヒーや談話は居間や読書室で楽しむようになっている。
●ゲストルーム
ゲストルームは屋敷の2階にあり、全部で5部屋もある。一人部屋が2つに、二人部屋が3つだ。
すべての部屋に小さな洗面所がついているが、浴槽やシャワーはない。身体を洗いたい人は、2階に客用の共同浴室があるのでそれを交代して使うことになる。
杉山奈緒美の寝室は別にある。他の客たちはすでに部屋を決めているため、探索者は残った部屋で相談をして部屋割りをしてもらうこと。
参考までに、佐藤政雄、藤田綺羅子は一人部屋、金谷譲治は二人部屋を一人で使っている。
●杉山奈緒美の寝室
淡いクリーム色をした壁紙の、古い洋風の部屋だ。この部屋は70年前に、杉山早苗が使っていた部屋であり、当時のままにされている。
この部屋に、すべての元凶である浅浮き彫りが飾られている。他にはベッドと小さな書物机、ドレッサーが置かれてあり、部屋はそれらの調度品だけで一杯だ。〈目星〉か〈鑑定〉に成功すると、古い調度品はともかく、シーツやカーテンもかなり古びている(さすがに70年前のものではないが)ことがわかる。
この部屋からは、生活感がほとんど感じらない。少し調べてみれば、ほかにも沢山の奇妙な点がある。
まず、写真や日記、手紙などプライベートなものを探しても、何も見つからない。ドレッサーに服はなく、それどころかどこを漁っても私物らしいものは一切ない。
ただし、書物机の一番上の引き出しには、地下室の扉の鍵、探索者に宛てた手紙を書いた際に使用した筆記道具、そして魔道書『ポナペ教典(英語版)』がある。これは当時、杉山早苗たちが金とコネに物を言わせて手に入れた稀覯書に紛れていた一冊だ。
ざっと読んでみて〈ほかの言語(英語)〉に成功すれば、ポナペ島沖の深淵にある忌まわしき都市ルルイエの記述を見つけられる。
この『ポナペ教典』によると、ルルイエには「大いなるクトゥルフ」が眠りにつきながらも常に生け贄を求め、世界の闇の海に潜む信者たちは、様々な手段で犠牲者を海底へと引き込もうとしているとある。
杉山奈緒美に、この生活感のない部屋について尋ねた場合、彼女は「最近、この屋敷に帰ってきたので、まだ私物を揃えていないのです」と、説明する。
●杉山芳子の寝室
屋敷の2階には、一室だけ鍵のかかっている部屋がある。簡単な造りの鍵なので〈鍵開け〉か〈機械修理〉に成功すれば、鍵を開けられる。
力ずくで鍵を壊して開けようとするならば、ハードのSTRロールに成功する必要がある。このロールには一人につき一度しか挑戦できない。また、鍵を壊したことは一目瞭然となるだろう。
ベージュに統一された落ち着いた雰囲気の部屋だ。調度品などは最近の平凡なもので、実用性が優先されている。杉山奈緒美の部屋に比べると、こちらの部屋には生活感がある。
ドレッサーにし女物の服が吊してある。
書き物机を探すと、小さなアルバムがある。アルバムには、杉山奈緒美と少し似た面影のある老婦人の写真が納められている。これは杉山芳江の写真だ。ただし、杉山奈緒美の写真は一枚もない。
また、アルバムの写真を見て〈目星〉に成功すれば、写真の中で老婦人の着ている服の中に、杉山奈緒美が着ていたラベンダー色の服があることに気づける。
杉山奈緒美にこの部屋のことを尋ねると、ここは彼女の母親の部屋で、現在、病院に入院しているため部屋を閉めているのだと説明する。
●地下室
屋敷の裏手の目立たない場所に、地下室の入り口がある。そこから地下のボイラー室と物置を兼ねた地下室に行くことができる。
地下室について、詳しくは「11.地下室の捜索」を参照すること。
キーパーは「9.深夜の悲鳴」のイベントが起きるまでは、探索者が屋敷の外をうろついて地下室を探すといった行動をしない限り、この入り口のことは説明しないで良い。
7,謎の遺品への反応
杉山奈緒美が手紙で「遺品」と記していた浅浮き彫りは、彼女の寝室に飾られている。
それは縦50cm、横120cmの横長の木製の浅浮き彫りだ。色は黒檀のように真っ黒で、木目は細かく複雑な渦を巻いている。表面に彫られた細工は絶妙で、水中にある巨石建造物から八腕目の未知の生物(大いなるクトゥルフ)が現れるさまが表現されている。底部には未知の言語で文章が彫られている。〈クトゥルフ神話〉に成功すれば、この言葉が「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん」と読み、「ルルイエの館にて死せるクトゥルフ夢見るままに待ちいたり」という意味だとわかる。
浅浮き彫りの材質については見ただけでは判断できない。〈科学(植物学)〉や〈鑑定〉などの適切な技能に成功すれば、恐ろしく重く堅い木で、自分の知識の範疇外のとても珍しいものだとわかる。
この浅浮き彫りを見て、絵画や彫刻などに関する〈芸術/製作〉に成功すれば、原始的な技工によって丁寧に彫られた歴史的にも貴重な作品だが、全体の構図にはどこか物足りなさを感じる。それはまるでこの作品が「未完成だ」という印象である。
金銭的価値を調べるのなら、〈鑑定〉に成功すれば、珍しいものではあるが、あまり高値はつかないだろうと判断できる。
なお、探索者が浅浮き彫りを破壊しようとしても徒労に終わる。浅浮き彫りは鋼鉄のように硬く、ガスバーナーなどで熱しても焦げることすらない。
以下は、浅浮き彫りに対する、客たちの反応である。
金谷譲治はこの浅浮き彫りを高く評価して、数百万円の価値はあるだろうと自信満々で保証する。この言葉には、探索者に浅浮き彫りにへの関心を持ってもらおうとする意図と、クトゥルフの手下として畏敬の念が込められている。
藤田綺羅子は、金谷譲治の言葉を信じたそぶりはしつつも、浅浮き彫りに対して特別な興味を持ってはいないといった態度を演じる。
そして、佐藤政雄は浅浮き彫りを見ると、
「やっぱりだ……70年前、確かに私はこれを見た……この屋敷でみんなと……」
と、過去の記憶を掘り起こすことに集中した面持ちで、ブツブツと独り言をつぶやいている。
8,雨の中の団欒
探索者が屋敷に到着して、遺品の披露も終わり、少し落ち着いたころ、外は大雨となる。
それはまるでバケツをひっくり返したような大雨で、テレビやラジオをつければ、この地域に突如として集中豪雨をもたらす雨雲が発生して、増水警報が出されているのとわかる。屋敷から幹線道路につながる道は、あっという間に水に覆われ、まわりのススキの野原も池と化す。
ただ、杉山奈緒美は落ち着いており、「屋敷のある敷地はまわりの土地より少しだけ高いので、少々の増水なら問題はありません。なにしろ、この屋敷は大正時代からずっとこの地に立っているのだから折紙付です」と、探索者を安心させるように説明する。
そして、その言葉は嘘ではなく、あたりが増水して湖のようになっても、屋敷を中心とした50m四方の敷地内に水がやってくることはない。
実際には、この雨は杉山奈緒美が探索者を足留めするために大いなるクトゥルフの力を借りて降らしているものである。よって、屋敷は神の加護によりいかなる水難からも守られているのだ。
このように外の雨はひどいものだが、屋敷の中は快適だ。
夕食の時間が近くなると、食堂には、杉山奈緒美と藤田綺羅子が用意した豪華な料理が並べられる。西洋風の屋敷に相応しく、鮮魚のマリネ、帆立貝のオーブン焼き、タンシチューといった洋食メニューだ。当然、客は夕食に招待される。
ただ、佐藤政雄は並べられた料理を見ると、顔を青ざめる。そして、食事をほとんど口にしない。そんな佐藤政雄の様子に、杉山奈緒美は、「ごめんなさい。佐藤さんには、もっとあっさりとした料理のほうが良かったですね」と謝る。
すると、佐藤政雄はビクッと驚いて「い、いえ、大丈夫……タンシチューは私の好物ですので」と、もごもごと口の中でつぶやく。
この佐藤政雄の態度は、このメニューが、70年前に杉山早苗たちとこの屋敷での晩餐とまったく同じだったことに対する戸惑いからきている。しかも、当時、彼が好物だった料理だけが狙ったかのように並べられているのだ。
晩餐の後は、居間でコーヒーを楽しむことになる。大型サイフォンでゆっくりと入れたコーヒーと、杉山奈緒美の手作りジンジャークッキーは極上の味わいで、外の豪雨などは忘れて、まるで別世界のように感じられます。
ゆっくりとお茶を楽しみながら、杉山奈緒美は佐藤政雄に自分たちの祖父(本当は自分たちのことだが)たちのことを尋ねる。すると、佐藤政雄もゆったりとした雰囲気に心を開いたのか、珍しく饒舌に若い頃の話を始める。
「私たちが、この屋敷に集まって交友を深めたのは、もう70年も前。昭和の初め頃です。
あのころ、私たちは親の金やコネを使って、世界中の物珍しいものを集めたり、新しい芸術や文学を楽しんだりするなどして、先駆的文化人なんてものを気取っていました。
メンバーは杉山早苗さん、金谷幸治さん、藤田佐和子さん、そして(探索者の祖父)さんに、私です。
そのころは、まだ私の家も相当な資産を持っていて、杉山さんのような名家ともお付き合いがあったんですよ」
と言って、佐藤政雄は寂しそうに笑うと、さらに言葉を続ける。
「思えば、私の人生の中であのころが一番輝いていた。
けれど、それも早苗さんが行方不明となり、数年後、後を追うように佐和子さんが姿を消してしまうと……自然と付き合いも減ってしまいまいました。そして、あの戦争が始まると、私の家もそれどころではなくなってしまったのです。
仕事の都合で住所が定まらない時期もありまして、それからは幸治さんとも連絡が取れなくなりました。何十年も経って、彼らの身内のかたに会えるだなんて、なんとも不思議なご縁です」
キーパーは、探索者が興味を持っているようなら、佐藤政雄の口から杉山屋敷の過去の様子をさらに説明させても良いだろう。
なお、遺品について、杉山奈緒美は「みなさんおつかれのようですので」と、明日打ち合わせをするよう提案する。
遺品についての話し合いをしないことを知ると、佐藤政雄はあまり長居は無用と「今日は疲れたので」と一言だけ言い残し、先にゲストルームへと戻る。
探索者が望むのなら、その後も歓談は続けられる。
会話の内容は、主に金谷譲治による浅浮き彫りについての私見や、居間の変わった調度品の品評が主になる。〈鑑定〉に成功した探索者ならば、金谷譲治がなかなかの目利きだとわかる。
金谷譲治は話題が豊富で、いつまで聞いていても退屈しない楽しいものだ。しかし、杉山奈緒美と藤田綺羅子の二人を観察して〈心理学〉に成功すれば、彼女たちが見た目は熱心に話を聞いているようだが、その内心ではまったく話に関心を持っていないことがわかる。
この時間は、探索者が杉山奈緒美をはじめとしたNPCたちに質問をする良い機会となるだろう。
9,深夜の悲鳴
このイベントは、みんなが寝静まった深夜に発生する。
突然、佐藤政雄の部屋のほうから、男性の悲鳴と、ガラスの割れる音が屋敷に響きわたるのだ。
佐藤政雄の部屋のドアは内側から留め金が下ろしてあるため開かない。STRロールに難易度ハードで成功するか、〈機械修理〉に成功すれば、ドアをこじ開けることが可能だ。または外壁を〈登攀〉で登って窓から侵入することも可能だが、深夜と豪雨という悪条件のためハードの成功が必要となる。
探索者が部屋に入ると、そこには誰もいない。窓は破られ、大粒の雨が部屋に舞い込んでいる。ガラスの割れた具合を見て、INTロールに成功すれば、破片の散らばり方から推測して、窓ガラスは内側から外に向けて破られたことがわかる。
深夜のため、窓の下は真っ暗で何も見えない。豪雨により水浸しになったススキの野原は、まるで大きな湖のようで、まるで孤島に取り残されたかのような気分にさせる。
窓の外を明かりで照らして佐藤政雄を探すのなら、〈目星〉に難易度ハードで成功すれば、屋敷から少し離れた地面に人影が動いたのに気づける。
また、屋敷の外に出て、佐藤政雄の部屋の下(屋敷の裏手にあたり、そこには前述した地下室の入り口があることも説明しておこう)の周辺を探せば、ロール不要で10mほど離れたところに、佐藤政雄が倒れているのを発見できる。
探索者が佐藤政雄を助けようとすれば、彼はうわごとのようにつぶやく。
「帰れるのか、あの日に……。輝いていた日に……。
いや、嘘だ!
みんな行ってしまった……私を置いて。ああ、なんで、きみはそんなにも美しいんだ?
私はこんなにも醜く老いさらばえたというのに!
嘘だ……嘘だ。もう、帰れない……帰りたい……」
そして、しばらく静かになると、最後に「……なんだ、アレは!!!」と、絶叫をあげる。そして、口から噴水のように大量の水を吐き出し、おおきくのけぞる。なんと口からの水は数十秒にもわたって吐き出され続ける。これはあきらかに異常な量だ。そして、水が止まったとき、佐藤政雄はすでに息絶えている。蘇生する可能性はない。
その死に顔はすさまじいもので、目は大きく見開かれ、眼球が半分飛び出すほどだ。口は絶叫を上げたままのゆがんだ形で固まっている。この死に様を目撃した探索者は1/1D4正気度ポイントを失う。
死因を調べてみて〈医学〉に成功すれば、溺死であることがわかる。しかも、不可解なことに吐き出された大量の水や、胃や肺の中に残っている水は、海水なのだ。
これは、佐藤政雄が浅浮き彫りが伸ばしてきた非物質的な触手に脅えて、後先を考えずに二階の窓から飛び降りて、逃げようとしたために起きたことだ。しかし、矮小な人間が逃れられるはずもなく、このような独特な方法で無残に殺されてしまったのだ。
杉山奈緒美は佐藤政雄が死んだことを知ると、ショックを受けたような演技をするが、このとき〈聞き耳〉に成功すれば、探索者には聞こえないようなところで彼女が「残念だわ。これで二人目……」と、小さくつぶやいたことに気づける。このつぶやきは、すでに死んでしまった探索者の祖父と佐藤政雄で、昔のメンバーが二人死んだことを意味している(なお、手紙をもらった探索者が二人いるならば「これで三人目」などと言葉を変更すること)。もし、探索者がその言葉の意味を尋ねても、杉山奈緒美は「そんなことを言いましたか?」と、惚けるばかりです。
金谷譲治は、佐藤政雄の死を冷静に受け止め、「だいぶ、精神がまいっているようだったから、突発的な自殺ではないかね?」と、自分の意見を述べる。もしも、探索者が海水について伝えたのなら、彼は、「入水自殺をしようとしたが、失敗するか、途中で気が変わり、ここまで戻ってきたものの体力の衰えから心臓マヒでも起こしたのでは……」と、さらに推測を述べる。佐藤政雄の死が超常的なものではないと思わせるためである。
藤田綺羅子は、哀れな老人の死にショックを受けたような顔をして、「せっかく会えたのに……こんな風に死んでしまうなんて可哀想……」と涙を浮かべる。これは杉山奈緒美と違って演技ではない。当時、藤田佐和子と佐藤政雄は年齢が近かったため、仲も良かったのだ。
ずっと続く豪雨のため、とても屋敷から町に出ることはできない。
しかも、いつのまにか電話はつながらなくなっており、豪雨の影響で回線トラブルでも発生したのか携帯電話も圏外となっている。なんらかの方法で外部に助けを求めても、この豪雨はクトゥルフのパワーによるものだ。たとえ警察や消防であっても、屋敷にたどり着くのは困難であり、彼らに無理をさせれば犠牲者が増えるだけである。
探索者が豪雨の中で、外に助けを呼びに行くのは危険な行為だ。杉山奈緒美たちは、探索者を強く引き留める。それでも探索者が外に出て行くようなことがあれば、豪雨はまるで悪意を持っているかのように、口や鼻に飛び込んできて、前進を妨げる。無理をすれば溺死しかねないだろう。悪意ある雨の異常さを体験した探索者は0/1D3正気度ポイントを失う。
命が惜しければ、探索者は佐藤政雄の死体と一緒に水が引くまで屋敷にとどまるしかない。杉山奈緒美たちは、朝には豪雨も止むだろうから無理はしないほうが良いと忠告する。そして、夜明けまではまだ時間があるため、しばしの仮眠を取ることにする。
10,奇妙な体験
探索者が杉山奈緒美たちのように仮眠をとったとき、屋敷の読書室の本を読みふけっているとき、ふと気を抜いたとき、またはプッシュ・ロールに失敗して心に動揺が生まれたときなど、探索者の心の隙を狙って、浅浮き彫りが魔の手を伸ばしてくる。
ただし、奇妙な体験をする探索者は「手紙をもらった探索者」と、もう一人だけだ。もう一人が誰かはキーパーが決めてかまわないが、屋敷の客たちと親しくしている探索者を選ぶと良いだろう。
探索者が仮眠を取っていた場合は〈聞き耳〉、起きていた場合は〈目星〉に成功すると、いつの間にか壁からブツブツと半透明の泡のようなものがわき出していること気づく。その泡は無数に集まり、半透明の触手のような形をとり、探索者のほうに忍び寄ってくる。ただし、探索者がそのことに気付くと、泡がはじけて、すぐに消え失せてしまう。
そんな奇妙な体験をした探索者はINTロールに成功すると、これは幻覚ではなく、別の次元から何者かが実体化して現れようとしていたのだという異常な考えが頭に浮かんでしまう。この驚くべき現象を理解してしまった探索者は0/1D4正気度ポイントを失う。
また、半透明の触手に気づけなかった探索者は、自分の首筋にヒタリと何かが触れた感覚によって、恐ろしい恐怖を感じる。それは眠っていても、すぐに目を覚ますほどのおぞましい感触だ。単なる温度的な冷たさではなく、直接、神経に異界の冷気が注ぎ込まれるような、そんな普通の人間が体験したことのない感触なのだ。この冷気を感じた探索者は、自動的に壁から伸びている半透明な触手の存在に気づく。そのおぞましい姿と冷気を感じた探索者は0/1D3正気度ポイントを失う。
この奇妙な体験をしているとき、近くに他の探索者がいたとしても、その半透明の触手は見えない。それは浅浮き彫りに目をつけられた探索者だけにしか見えないのだ。
この後、キーパーはタイミングを見計らって、半透明の触手に狙われるイベントを何度か発生させること。ただし、その発生する状況は、少しずつ変えたほうが望ましい。
例えば――
風呂に入っている時に、石けんの泡がいつの間にか触手に変わっている。
鏡を見ていると、その奥(別次元)から何やらモワモワした半透明の触手がこちらに迫ってくる。
みんなのいる居間で、自分にだけ見える半透明の触手が追ってくる。
といった具合である。
奇妙な体験をした探索者は、その都度、正気度ロールをしなくてはならないが、『新クトゥルフ神話TRPG』165ページの「恐ろしさに慣れる」に従い、半透明の触手を目撃したことでは、正気度は最大4ポイントまでしか失われない。
11,地下室の捜索
屋敷の外周を歩けば、ロール不要で裏手にひっそりと地下室の入り口があるのに気づける。
ドアには鍵がかかっている。開けるには杉山奈緒美の寝室にある鍵を使うか、〈鍵開け〉に成功する必要がある。またはかなり大きな音がするが、工具を使って〈機械修理〉に成功するか、STRロールを難易度エクストリームで成功することでこじ開けることも可能だ。
ただし、その場に杉山奈緒美が居合わせれば、この地下室はプライベートなスペースなので立ち入りしないよう注意する。探索者がそれを守ろうとしなければ、ほかの客にも協力してもらい、それを制止しようとする。それでも力ずくで行こうとするなら、彼らは止めるのをあきらめる。その探索者の無礼な態度に呆れた顔で見つめるだけだ。
ドアを開けると、古いコンクリートの階段が下に続いている。
その先は天井の低い地下室で、大きなボイラーと雑多な生活用品が置かれている。
小さな裸電球した照明はなく、かなり雑然としているので、中を調べるのは一仕事だ。それでも三十分ほど調べて〈目星〉に成功すれば、大きな段ボールの中にビニール袋に包まれた老婦人の死体が隠されているのを発見する。この死体は、屋敷の本当の主人である杉山芳江だ。その表情は恐怖に歪み、とても無残なものである。意外な場所で死体を発見した探索者は0/1D4正気度ポイントを失う。
死体を調べて〈医学〉か〈科学(法医学)〉に成功すれば、首に指の跡がアザとなって残っていることから絞殺されたこと。指のアザの大きさと力強さからして、犯人は成人男性の可能性が高いこと。そして、殺されてから、おおよそ一ヶ月程度経過していることがわかる。なお、杉山芳江を殺したのは金谷譲治である。
死体の入っていた段ボールの底には、肖像画が敷かれている。
肖像画には杉山奈緒美とそっくりの女性が描かれているが、それは大変古いもので、サインと一緒に1930年代の日付が書かれている。作者は無名の画家だ。
この肖像画は杉山早苗を描いたもので、最近まで屋敷に飾ってあったものだ。杉山奈緒美たちが自分の正体を隠すために、死体と一緒にここに隠したのだ。
12,消えた女主人と残った客
屋敷から杉山奈緒美が姿を消す。そのタイミングはキーパーが決めること。
探索者が杉山奈緒美を怪しいと断定して、問い詰めるなどの強硬な手段に出ようと思ったところ、彼女が消えているといったタイミングが最良だ。
なお、杉山奈緒美がいなくなってから浅浮き彫りを調べると、ある奇妙な点に気づく。浅浮き彫りの彫刻の中に、小さな人間の姿が増えているのだ。INTロールか、彫刻や絵画に関係する〈芸術/製作〉に成功すれば、以前に見た時には、こんなものは無かったと確信できる。前もって写真やスケッチをとっているのなら、それで確認することも可能だ。浅浮き彫りの変化を目撃した探索者は0/1D3正気度ポイントを失う。
増えた人間の姿をよく見れば、長い髪や体型などから若い女性のようだとわかる。そして、その姿には杉山奈緒美と重なる部分が多くある。
残された金谷譲治や藤田綺羅子は、戸惑ったように探索者に杉山奈緒美の行方を知らないかと尋ねるが、これはすべて自分たちは無関係であると信用させるための演技である。二人は何も知らないふりをして、探索者を油断させようとしているのだ。
彼らは、なるべく探索者たちにバラバラで行動させようとする。なぜなら、手紙をもらった探索者以外の邪魔者は始末したいと考えているからだ。
このシナリオのポイントは、屋敷の客のほとんどが探索者の敵であるというところだ。
よってキーパーは、寝室の不自然さ、杉山芳子の死体、ポナペ教典などを利用して杉山奈緒美の怪しさを強調しつつ、実は、隣で一緒に脅えていた金谷譲治や藤田綺羅子も、恐るべきクトゥルフの手下だったという意外性をキーパーは効果的に演出すること。
金谷譲治と藤田綺羅子が探索者の命を狙う手段として、いくつかの例を記す。もちろん、キーパーがほかに良い方法を思いついたのなら、それを実行してかまわない。ただし、探索者に反撃を許さず、一方的に殺すようなことはしないこと。『新クトゥルフ神話TRPG』の206ページ「勝者と敗者」にも記されているように、キーパーはバランスを考えよう。
●金谷譲治の誘い
金谷譲治は外で杉山奈緒美の姿を見たと言って、探索者を外に連れ出す。
大雨で見通しのきかない中、手分けして探そうと提案して、一人になった探索者の殺害を試みます。
彼は得意の柔道で探索者を絞め殺そうとする。ここでは戦闘の得意な探索者をわざと狙って、金谷譲治との緊迫感のある一騎打ちをしてもらうのも面白いだろう。
●藤田綺羅子の誘惑
藤田綺羅子は、その魅力を活かそうとする。か弱い女性が強い男性に頼るといった態度で、部屋に探索者を招く。
腕力には自信の無い彼女だが、昭和初期、大陸への冒険旅行で愛用していた小型拳銃(32口径リボルバー)を隠し持っています。彼女は探索者が油断しているところを、クッションなどを防音材に使い射殺しようする。
ただし、彼女は荒事の素人のため、前もって警戒していれば不意打ちに気付く可能性は十分にある。キーパーは探索者の置かれた状況に応じて〈聞き耳〉や〈目星〉などで、彼女の不審な動きを察知できるとすること。
●毒殺
金谷譲治か藤田綺羅子のどちらかが、探索者の飲食物に薬を混ぜておくという手段もある。
ただし、この屋敷に致死性の高い毒はないので、農薬などを強い酒や冷菜などに含ませるのが関の山である。二人は毒については素人であり、効果的に毒を飲ませる手段も思いつかない。よって、この毒で探索者が死亡する可能性は低いだろう。
毒を盛られた探索者は〈目星〉の難易度ハードで成功すれば、飲み込む前に匂いや味から異変に気づくことが出来る。もし、気付かないで飲み込んでしまったとしてもCONロールに成功すれば、気分が少し悪くなるだけで命に別状はない。CONロールに失敗した場合、激しい吐き気に襲われ、耐久力に5ポイントのダメージを受けたうえ、肉体を使う技能はすべてハードで成功させねばならなくなる。これは誰かに〈医学〉で治療してもらうことで回復できる。
13,浅浮き彫りからの魔手
金谷譲治か藤田綺羅子が探索者の抹殺に失敗して、どちらか一人が行動不能(もしくは死亡)に陥った場合、残ったNPCは最後の手段として浅浮き彫りのパワーに頼ろうとする。
残ったNPCは、部屋に閉じこもるなどして探索者から身を隠し、「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん」という奇怪な呪文を唱え始める。その呪文を聞いて〈クトゥルフ神話〉に成功すれば、それが「ルルイエの館にて死せるクトゥルフ夢見るままに待ちいたり」という意味であることがわかる。
呪文に呼応するかのように、屋敷の壁、天井、床、ありとあらゆる場所から半透明の泡が連なったツタのような細い触手が伸びてくる。とうとう浅浮き彫りが全力で探索者を捕らえようと、その力を発揮しているのだ。この恐ろしい状況に遭遇した探索者は0/1D4正気度ポイントを失う。
触手は無差別に探索者を捕らえようとする。探索者は触手を振り切るか、撃退して屋敷から逃走しなければならない。屋敷にとどまり続ければ、いずれは浅浮き彫りに取り込まれてしまうだろう。
触手を振り切る方法はいくつかある。STRロールに成功すれば、強引に触手を引きちぎって進むことができる。またはDEXロールか〈回避〉に成功すれば、素早く触手を避けて逃げることが可能だ。
上記のロールに失敗した場合、残念ながら探索者は触手に捕らわれてしまう。
探索者が窓から飛び出すといった近道を探すのなら、〈幸運〉に成功すれば、たまたま窓の近くにいたとしても良い。その場合、能力値ロールは不要だ。ただし、探索者が二階にいた場合、〈跳躍〉に成功しなければ落下したことにより耐久力に1D6ポイントのダメージを受けることになる。
探索者が触手から逃れるためのほかの良い方法を思いついたのなら、キーパーはそれにふさわしいロールを求めること。
触手に捕らわれた探索者を救い出すには、群がる触手を戦闘で撃退しなくてはならない。ただし、この戦闘には捕らわれた探索者本人は参加できない。
以下が触手のデータだ。触手は1ラウンドに最大で3回の攻撃が可能だが、1人につき1回しか攻撃できない。すなわち、もしも攻撃対象が2人しかいなかった場合、3回目の攻撃はしないということだ。触手は常に応戦を選ぶ。〈回避〉はしない。
触手は無数にあるが、便宜上、探索者に襲いかかろうとする無数の触手をまとめて、一匹のクリーチャーとして処理する。この触手の耐久力が0になれば、群がる触手を一時的に撃退して屋敷の外に出るための血路を開いたことになるが、浅浮き彫り自体を破壊したというわけではない。1分もすれば、触手は復活して探索者を襲い始めるだろう。
浅浮き彫りの触手
STR 80 CON 80 SIZ 100
DEX 30 INT 50 POW 75 耐久力 18
DB:+1D6 ビルド:0 移動:0 MP:15
1ラウンドの攻撃回数:3
近接戦闘 60%(30/12)、ダメージ 1D4+db
回避 15%(7/3)
装甲:なし。
正気度喪失:影の怪物を見て失う正気度ポイントは0/1D4。
探索者全員が触手に捕らわれた場合、残念ながら恐ろしい結末が待っている。探索者たちは浅浮き彫りに取り込まれて、大いなるクトゥルフの鎮座する忌まわしい海底都市で、永遠の魂の奴隷となるだろう。
探索者が捕らわれた仲間を見捨てた場合も、捕らわれた探索者は同じ運命を辿ることになる。その場合、犠牲となった探索者が杉山奈緒美のように、逃げた探索者を捕らえるようたくらむこともあるだろう。しかし、それはまた別の機会で語られるべきことだ。
14,闇の海
探索者が屋敷を出ると、時間帯にかかわらず、空は暗雲に覆われており、真っ暗だ。闇の中から降り注ぐ雨はさらに勢いを増しており、生暖かい雨粒が探索者の身体を強く打つ。
そして、海の方角には二つの不吉な光が輝いている。目が慣れてくるに従い、あたりを覆い尽くす闇よりも、さらに濃い闇がずんぐりとした人影のように海原に浮かんでいるのが見える。それは入道雲のように大きく、さきほどの不吉な光はちょうどその人影の双眸の位置に輝いている。この光景を見た探索者は、その影から感じられる圧力に心臓を押しつぶされるような感覚にさいなまれ0/1D10正気度ポイントを失う。
この影が大いなるクトゥルフを崇拝するクトゥルフの落とし子であるか、海神ダゴンであるか、はたまた長い年を経ておぞましいまでに巨大に成長したディープワンであるか、それはわからない。ただ、矮小な人間ごときが太刀打ちできる存在でないことだけは確かである。
続いて、今度は屋敷の窓が音を立てて破れて、半透明の触手が屋敷の外にも溢れ出してくる。しかも、その触手にからめとられ、半ば一体化した、杉山奈緒美、金谷譲治、藤田綺羅子の三人の姿が見えるのだ。三人の内、誰かがすでに死んでいたのなら、その死体が触手にからめとられている。
触手と一体化した杉山奈緒美は海の巨大な影を見ると、驚いた顔をして、
「も、もう少し猶予を……70年も待ってくださったのに……あと少しのお時間を……大いなるクトゥルフよ!」
と叫ぶ。
すると、それに応えるように、海から巨大な壁がせり上がってくる。それは信じがたい規模の大津波のように見えるが、その正体は水平線を覆い尽くすほどの触手の塊である。人間の愚行に飽いた邪神が、その手を少し伸ばして、すべてを回収しようとしているのだ。
この場にいれば触手の波に飲み込まれるだろうことは確実だ。触手の波から逃れる方法の一つは、地下室に避難することだ。
ここでキーパーはプレイヤーに考える時間を与えること。もちろん、探索者が地下室に隠れる以外の良い方法を思いついたのならば、それを採用してあげてかまわない。
もし、適当な避難方法が思いつかなかった場合は、キーパーの裁量で代表の探索者一人に〈アイデア〉に挑戦させてあげてもよい。成功すれば地下室の存在を思い出せる。
もしも、探索者が安全な場所に避難できなかった場合、探索者たちは確実に触手の波に飲み込まれて圧殺される。
探索者が急いで地下室へ向かえば、触手の波が到達する直前に避難できる。
地下室の中にいても、触手の波が迫ってくるのが地鳴りによって感じられ、やがてドドドドッという轟音とともに、わずかに地上に出ている出入り口部分を飲み込んでしまう。
中の探索者たちは、触手の波が地下室のドアを破らないよう対策せねばならない。
ドアが完全で、さらに地下室のガラクタを使うなどしてドアを固定しようとする工夫をすれば、STRロールに成功すれば、触手の波の衝撃に耐えられる。このロールは同時に最大2人までの探索者がロールに挑戦できて、どちらかが成功すれば良い。
ドアが完全で、なんの工夫もせずに探索者が身体だけでドアを押さえるならば、STRロールの難易度ハードに成功しなければならない。協力できる人数は同じである。
これまでの探索でドアが破壊されていた場合、上記のロールにペナルティ・ダイスが一つ与えられる。
探索者がロールに成功すれば、触手の波と共に運ばれてきた海水がドアの隙間からチョロチョロともれてくる程度で、無事に津波をやり過ごすことができる。
ロールに失敗した場合、触手がドアを破壊して、海水が地下室に入り込んでくる。ドアの近くにいた探索者は、海水に飲み込まれてしまい〈水泳〉に成功しなければ、耐久力に1D10ポイントのダメージを受ける。
地下室の奥で有事の際の準備をしていた探索者はSTRロールの難易度ハードに成功すればダメージを受けることはない。失敗した場合は、前述したように〈水泳〉に成功しなければ、耐久力に1D10ポイントのダメージを受ける。
海水は地下室内に一気に流れ込んだあとは、地下室に溜まって流れが弱まるため、探索者が外に流されるようなことはない。また、天井には空気が溜まっており、溺死する恐れもない。
そして、幸いなことに触手は地上にあるものを回収するだけであり、わざわざ地下室をまさぐるような面倒なことはしない。もっとも、キーパーからそのこと説明する必要はない。探索者には真っ暗な地下室で、わずかに残った空気にすがりつく恐怖をしばらく味わってもらうこと。
触手の波は5分もすれば、どこかに消えていく。
地下室の壁を震わせていた轟音や、地響きは徐々に弱まって、やがてまったく静かになります。キーパーは、危機は去り、もう安全になったことを伝えよう。
空を覆い尽くしていた雲は嘘のように消え失せ、昼ならば青空、夜ならば星空が見えている。
屋敷はわずかに土台が残るのみで跡形もない。すべてどこかに運ばれてしまったのだ。不幸中の幸いとして、このあたりは杉山屋敷以外にはススキの野原しかないので、他に被害は出ていない。
足元をさらさらと海のほうへ津波と大雨の名残である水が流れており、屋敷の残骸もプカプカと流されている(浅浮き彫りはどこにも見つからない。海に消えたのだ)。
その中に紛れて、額縁がゆらゆらと浮かんで、探索者の足元に流れ付く。
それは古いモノクロ写真の納められた額縁だ。写真には5人(手紙をもらった探索者が2人だった場合は6人)の若い男女が、いまはなくなってしまった屋敷の居間でくつろいでいる様子が写っている。額縁の裏側には、昭和初期の年号と、「杉山邸にて」と書かれてある。
写真に写っている女性二人に、探索者は見覚えがある。服装は古い時代のものだが、杉山奈緒美と藤田綺羅子に間違いない。他の2人については、探索者がINTロールに成功すれば、金谷譲治と佐藤政雄の若いときの姿だろうと推測できる。
そして、残りの一人は、手紙をもらった探索者自身に面影が似ている。彼は探索者の祖父だ。
写真の若者たちはカメラに向かって笑いかけている。それは、この事件を企んだ犯人とは思えない、屈託の無い若者の笑顔だ。
15,結末
誰も浅浮き彫りに取り込まれること無く、大いなるクトゥルフの大津波からも生還した探索者は1D10ポイントの正気度を獲得する。
もし、一人でも探索者が浅浮き彫りに取り込まれた場合、海に流された浅浮き彫りの中で、犠牲になった探索者が彫り物の一部となって悲鳴を上げ続けているという悪夢に悩まされることになる。探索者は1D10ポイントの正気度を獲得したあとで正気度を1D6ポイント失う。