シナリオ背景



 このページは、シナリオ本文では明らかにされない事件の背景説明です。
 この項でしか言及されていないシナリオの背景設定があるので、キーパーはシナリオを読み進めるまえに必ずこのページを先に読んでおいてください。
 なお、このシナリオでは「イスの偉大なる種族」と「ハイパーボリア」について、クトゥルフ神話の定説から外れた独自の解釈をしている部分がありますの で、ご注意ください。



 このシナリオに起きる事件の発端は、約一億年から七千万年ほど昔の地球で起きました。
 この時代、地球には「イスの偉大なる種族(以降、イス人)」や「古のもの」「ユゴスよりのもの」など、奇妙な独立種族が活動していました。
 やがて、イス人は彼ら独自の技術である精神の時間旅行によって、自らの精神を地球のずっと未来(現在よりも遙か未来)に送ることによって大規模な時を超えた 移住を行ないます。その後、イス人の知能を失ってしまった生物は、かって戦いを挑み海底洞窟に閉じ込めた「盲目のもの」と呼ばれるパワフルな生命体によって滅 ぼされてしまいます。イス人たちは鎮圧していた「盲目のもの」が勢力を増すことをいち早く察知して、この時代から脱出したのかもしれません。

 ですが、未来への移住には自分たちの肉体となる生物を用意しておく必要があります。
 イス人はこの移住に際し、「盲目のもの」という天敵に滅ぼされそうになったという今回の失敗を教訓にし、未来において自分の肉体となるのに最も相応しい生物 を用意しておくことを考えました。
 ですが、弱肉強食による地球の生態系に組み込まれた地球産の生物では(はるか未来において、この生態系はイス人が繁栄していた一億年前よりも強固で完成され たものとなっていることが想像できます)、すでに脅威となる天敵がいる可能性が高く、第二の「盲目のもの」をつくることになるかもしれません。
 かと言って、天敵のいない生態系の頂点に立つような生物では絶対数が少ないのでイス人すべてが移住する対象として適当ではないのです。
 余談ですが、ここでは地球産の生命ではない「盲目のもの」を、円錐形の生物(イス人が地球で最初に移った生物です)の天敵として地球の生態系に組み込まれた 存在としています。これはイス人が円錐形の生物に移る二億年も前から、「盲目のもの」が円錐形の生物を餌にし続けていたことから、すでに天敵として地球全体の 生態系に「盲目のもの」が組み込まれていたとも考えられるからです(何年続けば生態系として確立されたことになるのかは曖昧なものです)。

 イス人が望むような、天敵がいなく、その個体数も多く、さらに強靱な肉体を持っているなどという矛盾した生物など、この地球には存在しません。イソギンチャ クやヒトデの仲間には、かなりイス人の理想に近い種もいましたが、自然災害にも耐えうる強靭さという条件を考えるとどれも不適当でした。
 こうして考えてみると、地球にやってきたときに選んだ円錐形の生物は強靭で優れた生物だったということがわかります。ただ、「盲目のもの」が餌として常食し ているという最大の問題がありましたが……
 しかし、イス人は独自の超科学と未来を知る力によって、ひとつの恐るべき結論を導き出しました。
 地底世界ン・カイに在る外なる神アブホースに目をつけたのです。
 アブホースは不浄の源ではありますが、無限に落し子を産み続ける生命の源でもあるのです。そして、あの強大な神から直接に生み出された生命はイス人の希望に そうような強靭な生物となることでしょう。
 無限の繁殖を続けるアブホースの性質を強く受け継ぎ、進化という洗礼を受けずに生態系へ突然発生した存在である落とし子ならば、繁殖力、強靭さ、天敵の有無 において自分たちの理想通りの生物となるはずであるとしたのです。

 こうして移住先の生物をアブホースの落とし子と決定したイス人ですが、実際に計画を実行するのには大きな問題がありました。
 それは、地底世界ン・カイが非常に危険な世界であることです。
 魔術を知的な規律の妨げと考えているイス人では、そのン・カイへ赴きアブホースから生命の種を採取して未来へ伝えることは不可能でした。
 そこでイス人は地球の歴史上、最も魔術が発達したハイパーボリア時代に目を向けました。この時代に繁栄していた人類という種族が他の独立種族に比べて利用し やすい生物たちでもあったのも、その理由の一つです。
 イス人はハイパーボリア人を利用して、ン・カイから自分たちの肉体となるべき生命の種を未来へ伝えさせようとします。
 ン・カイへ挑むのにはハイパーボリア人の中でも、ン・カイに住むグレート・オールド・ワンであるツァトゥグアに敵対しており、魔術にも精通しているイホウン デー神官が相応しいと考えました。そして精神接触を神託という形にして、彼らをン・カイへ導きます。

 ここで少し、ハイパーボリアの歴史を説明します。
 グリーンランドにあったハイパーボリアに最初に文明を築いたのは全身を毛に覆われた人類でした。彼らは300万年前〜170万年前に繁栄し、そして衰退して いった種族です。ここでいうハイパーボリアの文明や人類は、それ以後に繁栄したもっと現代人によく似た人類のことを指しています。
 この人類はハイパーボリアの前人類が衰退した頃より、現代から約1万年前まで文明を維持していました。
 彼らは様々な災害によってハイパーボリアを追われ、ムー大陸やアトランティスといった場所にその高度な文明を受け継ぎましたが、一説によると1万1542年 前にアトランティスが海に没したのを最後に、その幕を閉じたことになっています。

 イス人はハイパーボリア時代の最終末期、アトランティスに栄えていたハイパーボリア人に、その地が海中に没するという歴史的事実を神託として伝えました。
 その内容は「ハイパーボリアはやがて滅びる。地底世界ン・カイを通り、未来の希望である罪に汚れていない魂を救いだして後、新天地へ逃れよ」というもので す。

 さて、ここでイス人が「罪」という言葉を選んだのにはわけがあります。
 精神を未来へ送ることで肉体を交換し、時を超えて永遠に存在し続けるイス人は、進化や自然淘汰という生物の基本法則から外れた存在です。彼らは進歩こそはし ますが(事実、彼らの学究心は非常に旺盛なものです)、進化はしない生物なのです。
 そんな彼らにとって、進化や自然淘汰というものは、イス人の存在自体を否定した概念であり嫌悪すべきものだったようです。これは我々にとって野生動物の弱肉 強食社会が野蛮に感じられるのと似たものと言えるでしょう。
 つまり、進化や淘汰によって生態系に組み込まれた生物はイス人にとっては嫌悪すべき(我々の感覚では野蛮な)存在、つまりは罪に汚れた存在だというわけで す。なお、ここでの罪とは人間社会の定義とは異なり、生物として許せない行為であるが故の罪と定義しています。
 当然、自然界に普通に発生した地球の生物はイス人にとっては罪に汚れた生物であり、原罪を背負った生物となってしまいます。ですが、自然界とは別の経路で発 生したアブホースの落とし子は、進化という罪に汚れていない無原罪の存在といえるわけです。
 うがった考え方をすれば、ハイパーボリア以後に栄える人類文明で幅広く信仰されるキリスト教義にある原罪という思想に、自分たちの観念と移住計画を重ねあわ せたイス人ならではの皮肉だったのかもしれません。
 このあたりにはニャルラトテップの皮肉的な性格に類似したところが見られますが、あらゆる時空に存在するニャルラトテップと、時を移動することのできるイス 人に性格の一致があるというのは、時間という概念に縛られないという点で二つが共通しているからなのでしょう。

 このイス人の神託は数千年に渡って続けられ、そのたびにイホウンデー神官の集団が地底世界ン・カイへ挑戦しました。
 ですが、アブホースから生命の種を盗みとり、元の世界へ繋がる出口を探しだすことは、たとえイホウンデー神官であっても困難な仕事です。
 この遠大なイス人の計画によって、膨大な人数のイホウンデー神官が犠牲となりましたが、それでも数千年の間には何十組かのイホウンデー神官は見事アブホース 生命の種を携えてン・カイを脱出し、世界各国へと散らばっていきました。
 まだ原始的な文明しかもっていなかった人類に、高度な知性と魔術をもったハイパーボリア人は多くの影響を与え多くの伝説の元となりました。
 イス人からの神託はハイパーボリア人の口から原始人類へと語られ、それはイホウンデー以外の様々な空想上の神々を生み出すことになります。
 また、ハイパーボリアを衰退させた要因の一つである「生ける氷河」や、海中に沈んでいったムー大陸やアトランティスの滅亡は世界各地に伝わる洪水伝説とな り、アブホースから盗みとった生命の種は、神が造り出した無原罪の魂や、ノアの箱船に乗せた動物たち、といった神話のもとなりました。
 特に無限に生命を生み出すアブホースへの印象は強かったようで、世界の創世神話に見られる原初の混沌の海と元となりました。

 そのようなイホウンデー神官の中には、原始日本へやってきたものもいました。
 彼らは、グレート・オールド・ワンに対抗する手段として強力な「古き印」を三つ持ってン・カイへ挑みました。
 なんとかアブホースに接触し、イス人の言う汚れない魂を長い槍の先でアブホースから拾い上げます。それはアブホースの落し子の亜種でしたが、イス人から伝え られた技術によってサナギのような状態で保存されることになります。
 そのサナギは遙か時を越え、繁殖に相応しい世界へ変わったときに孵化するよう仕組まれました。
 ですが、何の気紛れからかアブホースはイホウンデー神官に興味を持ち、喰らおうと追いかけます。普段はアブホースによって喰らわれている無数の落し子たち は、アブホースの注意がイホウンデー神官に向かったため、生みの親の牙から逃れるチャンスを得ます。
 アブホースの鎮座する場所からの逃げ路は一本しかなかったため、逃げる落とし子はイホウンデー神官の後を追うような形になりました。
 イホウンデー神官から見れば、これはアブホースが怒って、無数の怪物を引き連れて追いかけてきているように見えたことでしょう。
 イホウンデー神官は、三つの「古き印」を次々に投げつけることでアブホースを怯ませ、命からがら逃げ延びることができました。
 地下世界ン・カイから脱出して、彼らがたどりついたのは縄文時代早期の古代日本でした。
 高い知能と魔術の力を持った彼らは、縄文人に神として崇められ、その土地に解け込みました。彼らの体験談は伝説として残り、後に編纂された古事記へ強い影響 を与えることになります。
 槍で拾い上げられた生命の種はヒルコと名を変えて、ン・カイは黄泉の国、アブホースや落し子たちは、豫母都志許女(よもつしこめ)や千五百(ちいほ)の黄泉 軍となって、現代にも伝えられてきました。

 イホウンデー神官は生命の種を守る使命をまっとうするため、なるべく他のものとは接触せずに、一族の優秀な血と生命の種(この一族の間ではヒルコと呼ばれる ようになりました)を守り続けることにしました。日本での彼らは野中という性を名乗り、九州の伊万里の山中で野中一族として細々と生き続けました。
 彼ら独自の倫理観は古い日本において異質なものでした。彼らは、当時の世襲による強い身分階級制などには従わなかったからです。これは、その時代の日本社会 においては反社会的な思想でしたが、野中一族の神秘性がゆえに長らく見逃されてきていました。
 ですが、時代が進み十六世紀に入ると、その神秘性も効力を無くすようになってしまいます。
 その原因はキリシタンの流行です。
 キリシタンの教義である平等精神や聖書の内容は、野中一族に伝わる伝説や一族の倫理観に良く似ていました(聖書の原型となった伝説もイホウンデー神官の影響 を受けていたとするならば、そのことは当然の話です)。
 よって、当時の幕府は野中一族も隠れキリシタンの一族であると判断したのです。
 当時の野中一族は、伊万里の稲穂村というところで強い影響力を持つ庄屋のような存在でした。
 ただでさえ稲穂村のある九州地方はキリシタン勢力の強かった地域であったため、彼らは土地に伝わる伝説(元もとは、イホウンデー神官から伝えられたものです が、当時では誰も知るものはいません)と聖書を融合させた独自の口伝聖典を持つようになり、隠れキリシタンとして信仰を続けていました。
 ですから幕府が稲穂村に目をつけたのも、さほど的外れだったと言うわけではなかったのです。ただ、その中心が、野中一族であるということだけは大きな間違い でした。
 野中一族はヒルコと血筋を守ること以外に興味はなく、もちろんキリスト的思想を伝道するようなことしてませんでした。
 野中家は幕府の追究が始まると、すぐに身の潔白を明かすため幕府の言うなりとなりました。有名な踏み絵などには従順に従い、村のキリシタン捜しにも協力しま す。
 村人たちは自分たちを平等に扱ってくれた野中一族もキリシタンであると勝手に信じていたので、野中家は保身のために改宗したと勘違いし強い怒りを感じるよう になります。
 それでも、このことが原因で幕府と繋がりを持った野中家は江戸時代末期になると大いに栄えます。
 ただ、村人を売ったという過去の事件は稲穂村において野中家と村民に深い禍根をつくることになり、それは根強くも現代にまで伝わっています。

 さて、時代は流れて、やっと現代となります。
 野中家は、現代にまでその血筋を存続させることができました。そして、ヒルコも守り続けられていたのです。
 野中の一族はハイパーボリアの高度な医学知識による外科手術で、一族の長子の体内にヒルコを埋め込むことによってヒルコを守り続けました。
 現在、野中家でヒルコを体内に隠し持つのは野中英男という男です。
 しかしながら、戦後日本は核家族化の強まりにより「一族」という古い観念は急速に廃れていました。野中家もその例外ではなく、家を継ぐべき野中英男も「一 族」と村を捨てて、今では都会で普通人として生活をするようになっていたのです。
 しかし、そんな野中家に伝わる秘密に興味を持った男がいました。
 その名は美川満男。
 かつてはマイナーな考古学者でしたが、偶然に手に入れた「エイボンの書」によってハイパーボリアの存在を知り、その調査を進めるうちに自らツァトゥグア信者 となってしまった危険な狂人です。
 彼はツァトゥグアと接触する祭具である「ツァトゥグアの雛」を使用することによって神への貢ぎものをさざげてきました。そして、その見返りとして、美川には 人間の限界に近い能力を与えられ、様々な禁断の知識と自由に行使できる怪物を授かってきたのです。
 こうして狡猾にも美川は、自分の狂った本性を隠しつつ、日本でツァトゥグアへの信仰を秘かに続けていたのです。

 ですが、最近になってツァトゥグアは美川に一つの夢を見せるようになりました。 それはイス人によってハイパーボリアを脱出するイホウンデー神官の姿でし た。
「エイボンの書」によってイホウンデー神官とツァトゥグア神官は対立していたことを知っていた美川は、この夢こそは自分に課せられた使命を暗示するものだと判 断します。
 どん欲な神は、常に生け贄を欲しています。その生け贄の望みとして、この夢を見せたに違いないと……
 美川は夢の中にある手がかりから、精力的な調査を進めて、このイホウンデー神官の子孫が野中家として現代日本にも続いていることを突き止めました。しかも、 野中家を調べてみれば、その一族は謎に包まれ、イホウンデー神官としての資質を強く受け継いでいるようだということがわかったのです。
 ですが、ここで美川は生け贄として何が相応しいのかに悩みます。
 ツァトゥグアの望むのは神官の子孫の血肉なのでしょうか、それとも神官が大事に守っていた生命の種なのでしょうか。神ならぬ美川に、その判断をつけることは できませんでした。
 美川は危険を覚悟で野中英男や、野中の血筋である荒井嘉次という者たちと接触をしますが、彼らは一族に伝わる伝説のことなど知らぬと惚けるばかりで、生け贄 の手掛かりになるようなことを聞き出すことはできませんでした。
 そこで自分の調査記録である稲穂村に伝わる口伝聖典をまとめた本を贈与したり、「エイボンの書」の研究ノートを送りつけたりなどして、野中家の秘密を握って いることを示し、野中英男たちが言い逃れのできないように追い詰めていきます。
 倒錯した美川は、このように相手を追い詰めることを楽しんでもいたのです。
 野中英男は、そのように送り付けられてくる資料を読みました。一部は自分が幼いときに伝えられてきた話と共通するものであり、一部は自分にも知らない狂気に 満ちた世界の真実でもありました。
 ですが、精神的に追い詰めようとした美川の策はまったくの逆効果となりました。
 野中英男が隠された真実を知って、一族の使命を再認識してしまったからです。
 野中英男を手強いと感じた美川は、比較的たやすい相手である荒井から情報を引き出そうとしますが、荒井嘉次は何も知らない単なる俗物で役には立ちませんでし た。自分の秘密を知られてしまい、荒井を放っておくことに身の危険を感じはじめた美川は、ツァトゥグアから授かった怪物を使って荒井を殺害します。
 しかし、荒井の口封じには成功しましたが、もし野中英男が荒井が死んだことを知れば、自分のことが真っ先に疑われるだろう事は必至です。そうなれば、すべて は水の泡です。
 逆に追い詰められつつある美川は直接野中英男の家を訪ね、野中一族の秘密、とくにヒルコの秘密を強硬な態度で聞き出そうとします。ですが、争いとなってしま い美川はツァトゥグアから教えられた呪文によって野中英男まで殺害してしまいます。
 これで、自分の秘密を知る者はいなくなりましたが、野中の秘密を探り出すことも難しくなってしまいました。
 しかたなく美川はヒルコのことは諦め、イホウンデー神官の一族を生け贄にすることを決意します。そして、野中英男の一人娘である野中祥子を生け贄として選 び、いよいよ計画を実行させようとします。

 野中祥子は英男の残した不思議な遺言書に疑問を持ち、探索者に相談を持ちかけます。
 このことから探索者はこの事件に隠された謎を暴き、美川の陰謀を阻止するために活動することになるのです。


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